たかくらかずき 個展
「アプデ輪廻 ver4.0 天国・地獄・大地獄」
会 期:2021年12月16日(土) - 12月26日(日)
時 間:12:00-19:00(最終日17時終了)
休 廊:月火
場 所:gallery10[TOH]
展覧会URL:
たかくらかずきさんは1987年生まれ。3DCGやピクセルアニメーション、3Dプリント、VR、NFTなどのテクノロジーを使用し、東洋思想による現代美術のルール書き換えとデジタルデータの新たな価値追求をテーマに作品を制作しているアーティストです。京都芸術大学の非常勤講師もされています。
アプデ輪廻について、前知識なしにまず会場へ。
展示にはこの電光掲示板を跨がないと入れません。これはわかるぞ、三途の川やー。この川を跨いで入るというアクションで、これから異世界に入るんだな、という軽い緊張が走ります。異世界という表現が適切かはわかりませんが、感じたのはとりあえずこれを跨いだら出来るだけ自分の先入観は無くそうという感じ、何か違う設定の中に入るのだな、という感じです。すべての展覧会はその作家の作り出した異世界と同義なのかもしれませんが、境界を跨ぐという意識的なアクションが、展覧会会場のドアを開ける行為よりも、先に待ち受ける異世界をより意識させました。これは結界、たかくらさんによる領域展開ですね。
以下、会場にあった作品説明より。
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「ポータブル三途の川」
三途の川というのは "向こう側" と "こちら側" を分けるための重要な線引きです。それはもちろん死後の世界と生きている世界、ほかにもモニターの向こう側とこちら側 (私は "ディスプレイ" という言葉は使いません) 作品の向こう側とこちら側、バーチャルな世界の向こう側とこちら側というように、いろいろな "向こう側" と "こちら側" があります。バーチャルな世界を行き来する現代においてはこの "向こう側" と "こちら側" の往来がいたるところで行われています。なのであれば三途の川もポータブルであるべきなのではないかと思い制作した次第です。
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会場に入りすぐに目を引いたのがバーチャル墓参りっぽいこちら。
"FPS"
部分。
ファミコンのようなカラーリングのお墓。ギリシャの神殿の柱のようなデザインも見られます。エンボスラベルにあるFPSとはファーストパーソン・シューティングゲームの略で、本人視点で移動や攻撃を行うコンピューターゲームを指します。
モニタには、本人視点で移動する画像が流れます。
お墓の前でポーンと花が放たれます。
こちらも以下、会場にあった作品説明を転載します。
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「墓のシリーズ "FPS" "HardWere" "DELTA"」
ブロックとアクリルで制作した墓形USBメモリの中には映像データが入っており、リアルタイムで再生されています。それぞれの映像は "ゲームエンジンの射撃アセットで制作した墓参りの主観映像" "ボクセルとVRペイントツールで制作したデスクトップ型墓の回転モデル" "地獄の番犬ケルベロスの2Dアニメーション"です。
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"HardWere"
墓の回転モデル。霊体を可視化したらこんな風にサイケデリックに見えるのかも。お寺などに所蔵されている仏画を当時の状態に復元すると、思った以上にカラフルだったりしますしね。
"DELTA"
ケルベロス。地獄の番犬と言われています。
作品説明の続きです。
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これらの作品は "デジタルデータと魂の構造は同じなのではないか" という仮説から発展しています。我々は墓石には魂が入っていると信じてお参りをします。魂は見えないものなので、墓石という容器に入れておかないと存在が証明できず信じることもできません。しかしなぜ石という容器があるだけでそこに魂の存在を信じることができるのでしょうか? 私はデジタルデータも同じ構造を持っていると考えています。ハードウェアがないとソフトウェア (デジタルデータ) は存在できない。クラウドという言葉がありますが、あれは実はどこかにある物理的に大きなサーバーが保存している場所にいつでもアクセスできるというだけで、雲の上にデジタルデータがあるわけではないのです。あくまでデジタルデータには物理的な容器が必要です。そしてデータは現在はモニターの存在によって視認できますが、モニターがなくなってしまえばハードウェアの中のデータの存在を確認することはできない。墓と同じように、中の魂の存在を信じ、祈るしかなくなります。逆に言えば墓の中の魂の存在を認識できるモニターがあれば、我々はより魂の存在を信頼できるはずです。
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アプデ輪廻シリーズは、"ハードウェアとしての物質/肉体" と "ソフトウェアとしての魂/精神" の関係性について、日本仏教や東洋思想の観点を引用してアップデートしながら継続的に行われてきた、たかくらさんの制作活動と展示のシリーズです。
確かに、ハードウェアの死が完全なデータの死であると理解していますし (PCやスマホなどのハード部分が完全に破壊されたらクラウドにBKUPしてない限りデータは終わりです)、いつでもアクセス可能なデータ貯蔵庫がクラウドとネーミングされたことも、宗教画の影響や、太古からの天候の脅威により、雲の上というものには死んだ魂や神が存在しているという根強いイメージがあることから、データ(ソフトウェア) と魂/精神の連想に一役買っているのでしょうか。
バーチャルという言葉は最近になってよく使用されるようになり、比較的新しい概念と思っていましたが、昔から行われていた墓参りが死者と対話する仮想の行為と捉えると、すでに行事感覚でバーチャル体験を行っていた、霊園が一つのメタバースで、供花や線香、お経を上げることでポータルが開く、などと考えると面白いですね。
その他、生と死の間、コミュニケーション等、可視化できない概念を表現した作品が続きます。
「仏花のシリーズ」
"彼岸花"
"竜胆"
"菊"
コンピューターと映像でつくられた生花です。
たかくら氏によると、生花の、切られているのに "生かされて" いる状態を生と死の間とすると、電気信号が絶えす内部を飛び交い、生きているとも取れるのに、大抵は死んでいるモノと見做されているコンピューターもまた生と死の間に存在しているモノと言える、生花とコンピューターは近しい存在なのではないか、という認識から生まれた作品だそうです。
「しゃべる靴」
右と左の靴のモニター同士が会話している、というもの。
「仮想合体!エグゾディック TV仏陀 YAKUSHI」
現世利益の仏である薬師如来をモチーフに、頭、右手、右足、左手、左足のパーツに分かれた5つの映像データをそれぞれブラウン管で展示した作品。
左足のみ熱海のホテルニューアカオにて展示 (12/20終了) 。
ブラウン管は、ナム・ジュン・パイク「TV仏陀」への愛から、また徐々に死んでいく過去のものとして肉体の象徴。"相即相入"(バラバラに見えるあらゆる事象がつながっているという華厳の教え)を、特撮ヒーロー番組で見られた "合体ロボ" などと絡めて表現。ホテルニューアカオ付近で集音した波の音が流れています。
「熱い海 (熱海) に万巻上人がお経を唱えたら薬師如来が現れて温泉を山に移した」という昔話から着想。熱海でのレジデンスで制作されたシリーズ。
「天国・地獄・大地獄」
昔、やりましたね。指の間を「天国・地獄・大地獄」と言って相性か何かを占う指遊び。それをモチーフにした映像作品です。
部分拡大。
拝む形の手をジェットコースターのようにアップダウンしながら進んでいく映像です。手の内側にはウィルス状の鬼が (コロナ禍!)、山のはるか上には薬師如来がレイアウトされているとのこと。
金剛力士はヘラクレスが由来なんだそうで、うなぎのヒュドラと闘っている様子がモニターに印刷されています。
金剛力士の顔が変わるという細かさ。禍福は糾える縄の如し。
会場に置かれている作品説明のファイルを読み込むと、へぇー、とか、なるほど、といった気づきが多く、一つ一つの作品が濃い印象でした。アプデ輪廻の公式サイトもぜひ参考に。たかくらさんが、コロナ禍においてどのような影響を受け、何を考え、どう作品に反映していったのか書かれています。たかくらさんのYouTubeちゃんねる「データそうめん」ではアプデ輪廻の理解が深まるような動画なども多く、過去にクラウドファンディングを募り制作された、仏教の世界観をテーマにしたシューティングゲーム「摩尼遊戯TOKOYO」のプレイ動画もあります。
クラファン時に制作された絵馬も会場で販売されています。レア。
「摩尼遊戯TOKOYO」の設定本。残り2冊のうち1冊を買ったのは私です。
他、会場ではたかくらかずき × 葛飾北斎 × HORIZON inc のニット (画像がありませんがすごくかっこいい) も販売されています。そして、本展の作品はStartbahn Cert.で発行されるブロックチェーン証明書Cert.に紐づけられたエディションや、NFTデジタルデータとして販売されているとのこと。
ファイスブックが社名をMetaに変更した本年 (2021年) に、ver1.0〜ver4.0と発表されてきたアプデ輪廻。NFTは、メタバースの世界に脳を接続しまるで攻殻機動隊の世界が実現した不老の未来が訪れた時、今ある物質をメタバースで楽しむために開発された、というような説を聞いたことがあります。その真偽はさておき、映画「アートのお値段」にも美術館=墓場との台詞があったと思いますが、アート作品の一番幸せな死に場所=墓=美術館の収蔵庫、というものが今までの定説だったとしたら、ネットに漂い続け、検索さえすればいつでも取り出してもらえるデータとしての作品は、人類よりもいち早く理想の不老を手に入れたということでしょうか? 「墓のシリーズ "FPS"」で、供花というより「あばよ」とばかりに花がポーンとシューティングされる様子が、NFT元年を表す象徴的映像のように感じます。
不老は魅力ではありますが、たいして成長もしていない、悪い意味での「魂は歳を取らない」を実感することが多いこの頃では、何が理想の形なのかわからなくなりました。ジェットコースターの一本道の軌道でもなく、同じところをぐるぐると周りながらも少しづつ上昇しているような輪廻を生きていると信じたい。2021年必見の展示です。ぜひ足を運んでみてください。
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