山本捷平 個展 「Calcite on Myth: Myth」
会 期:2022年3月11日(金) - 2022年4月3日(日)
時 間:13:00-20:00
休 廊:火水木
場 所:Ritsuki Fujisaki Gallery
展覧会URL:
本展は東日本橋に新しくできたRitsuki Fujisaki Galleryの柿落としとなる展覧会です。山本捷平さんは1994年生まれ、京都造形芸術大学大学院芸術先攻ペインティング領域修了。自作のローラーを用いてモチーフを反復させる作品で知られています。デジタル技術の発展により複製が容易に行われる現代において、ローラーで反復させるというアナログの手法を加えることで、観る者に偶然性や物質性を意識させる作品です。
本展では、今まで反復させてきたモチーフ側を背景にして、素材である絵の具やカルサイトを反復させています。具体的には、神話的モチーフの彫刻の画像をプリントした上に、彫像に用いられる大理石の構成要素:カルサイトを白い絵の具に混ぜたものをローラーで塗りつけています。
作品を観ると、上から下へとローラーを何回か滑らせているのかと思いましたが、画面の縦の長さの幅の巨大なローラーを自作し、左から右へと滑らせているそうです。
「Calcite on Myth-Eirene-」
「Calcite on Myth-Woman-」
「Calcite on Myth-Man-」
「Calcite on Myth-Prometheus statue 2-」
反復させた白の絵の具がまるでレースのようです。カルサイトが混ざっていることにより表面には凹凸が出来、本物のレースのような厚みをもたらしています。ローラーが左から右に向かうにつれて画面に乗る絵の具量が減っていき、奥にある彫像の写真が段々と現れてくるような、神話という神秘性が明らかになっていく過程を見ているようです。
「Calcite on Myth-Venus statue-」
「Calcite on Myth-Adonis statue-」
ヴィーナスとアドニスの2作品は向かい合うように並べて展示されています。神話では神々の嫉妬に翻弄され悲恋となる二人。様々な作品の題材として選ばれています。しかし、もともとアドニスはヴィーナスがミュラ (アドニスの母) の美しさに嫉妬したのが原因で生まれたという話もあります。嫉妬で生まれて、嫉妬で殺される美少年アドニス、、、。
「Calcite on Myth-Venus statue-」(部分拡大)
背景のプリント部分にも白く色が抜けている箇所があります。
「Calcite on Myth-Venus statue-」(部分拡大)
ヴィーナスの顔はローラーで塗られた白色で覆われていますが、はっきり見えるよりも魅力的に感じます。隠されている部分がある方が美しいということでしょうか。
偶然性について、山本さんは予めPC上でシミュレートしてから「実作」に取り掛かるそうです。ローラーで塗られた絵の具の濃淡や不均衡な形なども、計算されているということです。
この「シミュレート」は、「偶然性を作品に取り入れる」ということにおいて重要な意味があると思いました。自作のローラーや綿密なシミュレートのもと作品を制作しても、おそらく排除しきれない「予測外」の要素は生じると思います。しかし、この予め行うシミュレートの存在により、作品の完成形のイメージが既にあることが明らかにされ、作家が作品を「自分のもの」として偶然性の神から引き戻すことに成功しています。
少し前に「AIに描かせた絵」というのが話題になっていました。専用アプリにキーワードを入力しスタイルを選ぶと、AIがネットのイメージ画像を組み合わせ絵を作成するというもので、シュールレアリスムのような、キュビズムのような作品なども作成され、ロボットには絵が描けない、と信じていた私からすれば「とうとうここまで追いつかれたか」と戦慄しました。しかし、「Radiohead」のようなバンド名で絵を作成したところ、検索結果にプレイリストが多く溢れていたためか、曲名が段々にずれて組み合わさったような画像になり、AIの限界を知ってほっとした次第です。Radioheadの持つ暗くて未来的でロックな雰囲気の絵が出てきたらどうしようかと思いました。ジャケットを手掛ける「スタンリー・ドンウッド」をキーワードにしたらまた結果が違ったかもしれません。
「AIに描かせた絵」というのは作者不在です。ネットの検索結果、という多数のイメージ画像を用いた、何となくそれっぽい絵です。そこに作者がいないということは、AIにその画像を作らせた人も発信者にも何の責任もなく、そのAIの絵を元にしてトレースや複写したものを作品として発表しても問題にはならないようです (2022年3月現在) 。
やや脱線しましたが、「偶然性を取り入れる」ということは、少しこの「AIに絵を描かせる」ことに似ている気もします。作者の手を離れた要素を取り入れることだからです。そこで完全に手を離すのではなく、山本さんのように、シミュレートしている、コントロールしていることを明らかにすることで、作者は作品が自分の手によるものであると改めて宣言できます。そして鑑賞者は、作品が「作家の狙い通りのまま」なのか「思わぬ偶然が入り込んでいる」のか、明確な答えを持てません。そのことでさらにこれらの作品が、全く同じ手順を踏んだとしても制作できないもの、山本さんのシミュレーションによる完成イメージがなければ複製不可能なもの、と認識させることに成功しているのではないでしょうか。
反復の先にある複製という概念、作家という存在について、考えさせられる作品です。
「Calcite on Myth-Prometheus statue-」
どこまでシミュレートしたのか、考えてしまう。
「Calcite on Myth-Prometheus statue-」(部分拡大)
作品の端にまで乗っているローラーの絵の具。
レースで覆われたような見た目にも表れている通り、全てが明確にならないほうが魅力的な作品群です。「Myth」は神話という意味もありますが
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事実そのものに関係しながらもその背後にある深い隠された意味を含む「神聖なる叙述」
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
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という意味もあります。
会場には参考として山本さんが置かれた書籍もありました。
作品の背後にあるものを探りに、ぜひ足を運んでみてください。
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