我喜屋位瑳務 個展「wackycore」
会 期:2022年4月9日(土) - 2022年5月14日(土)
時 間:13時-19時
休 廊:日月 (GW期間中4月29日 - 5月5日は営業)
場 所:FARO Kagurazaka Gallery
展覧会URL:
2021年のドローイング展「CHILLDIE IIII」を当サイトでレビューさせていただいた我喜屋位瑳務さんの個展がFARO Kagurazaka Galleryにて開催されました。
今回の展覧会タイトルは「wackycore」です。
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wacky=突飛な・狂気じみた部分があって風変わりだけれど面白くて興味をそそるさま。
そこにcoreをつけてハードコアみたいなジャンルを目指します。
我喜屋位瑳務
(我喜屋位瑳務 個展「wackycore」詳細より抜粋)
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ワクワクしますね。
本展では、2021年12月18日(土) - 2022年1月16日(日)に開催された“やんばるアートフェスティバル2021-2022”での「BUG / GLITCH」展で発表されたペインティングの他、新作のドローイング、コラージュが展示されています。
前述の“やんばるアートフェスティバル2021-2022”「BUG / GLITCH」展では、自らの神話の世界が描き出されていました。会期を考えると2022年2月より前のステートメントであるはずなのですが、まるでその後始まってしまった、力による悲劇を知っているかのような文言で驚きです。全文抜粋します。
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人間は賢くなりすぎた。
私たちが住むこの世界は、一度全てを破壊するしかないのでは?と思うほど、それはもう混乱に混乱を極め、大変な不具合と障害で収拾がつかなくなっているようにしか思えません。
救いの神はどこへ行ったのでしょう。いや、そもそも救いの神など存在しないと信じています。しかし、荒ぶる神はいると思います。怒りを買ってしまいました。
物理的に怒りをぶつけてきているではありませんか。困りましたね。
こうなったら個々が自分の中で神を設定し、今を受け入れ心の整備をするしかありません。神がいないこの世界でも、どこか余白には愛は存在するはずです。
(やんばるアートフェスティバル2021-2022”「BUG / GLITCH」ステートメント)
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前回のレビューでも書きましたが、我喜屋さんはかなりの頻度で悪夢とも言えるような夢を見ていることがSNSなどから窺えます。私は個人的に、ある種の表現者は無意識のうちに予言をすることがあると思っているので、この我喜屋さんさのステートメントの予言的な要素にはかなり驚きましたが、同時に素直に受け入れられる気持ちもありました。
作品そのものはステートメントにもあるように「余白にある愛」の部分と言いますか、不思議な楽しさ、面白さ、何が描かれているかは具体的に分からなくとも気分の高揚を感じるものでした。かっこいいアートに遭遇すると興奮してしまうあの感じ、部屋に入った瞬間「ヤバいいいい(喜)」という感情が浮かびました。
「The Core」
「Our human existence is inexplicable」
「Irreversible World」
「Brain is in a state of raptures」
「The Land od Madness」
沖縄県で生まれ育った我喜屋さんは戦後のアメリカ占領下の影響を少なからず受けていて、アメリカのテレビアニメが放送されているチャンネルをよく観て育ったり、1970年代〜80年代のアメリカのコミック誌や雑誌をコレクションしていたりなどしています。作品の独特の色使いや場面構成にはその影響を感じ取ることができます。
このペインティングシリーズには加えて、禅問答、なぞかけを思わせるような場面が描かれていて、炎、斧、円 (球体、丸) というようなモチーフが繰り返し出現しています。もやのように垂れている黄土色の絵の具も共通点です。ノイズのような、はっきりしない視界が、夢の世界、不穏さなどを感じさせます。
炎は人間が生活する上で必要不可欠でありながら、争いの象徴でもあったりと、扱う者により性質を変えるイメージがあります。斧もまた同じように生活に必要でありながら、破壊の印象もあります。円は輪廻や結界、地球が丸いことから世界そのものの意味も感じられます。
そして、新作のドローイングの作品群には、より魔術的な儀式感が漂っていました。
「untitled」
「untitled」
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「untitled」(部分拡大)
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前回レビューした「CHILLDIE IIII」は我喜屋さんが日課として描いているドローイングを主として、毎年行われる展覧会です。ドローイングは我喜屋さんにとって祈りのようなものとのこと。行わないと落ち着かないもの (行っても落ち着かないもの) 。ここにも個人的な宗教、のような要素が顔を出します。淡々と変わりなく行う日課は、日常のシンボル。そのような日課には心を落ち着けさせる効果があると言えます。人類は、個の心の拠り所を見つけ、余白に潜む安らぎを得ることでしか冷静を保てないとでも言われているような気がしました。余談ですが、我喜屋さんはモルモットのシモン君と共に暮らしており、モルモットを崇める個人組織「GUINEA MATE」を発足していたりします。
日常の余白に存在する楽しみと思えるものとして、我喜屋さんが海外から品物を取り寄せた際の封筒に絵を描いたシリーズの作品があります。海外からの封筒は紙が薄くてもガムテープはしっかりガッチリ貼られていて印刷されている文字もゴシック調などではっきりしている。そういうところに魅力を感じているそうで、親しい方は海外からの封筒を我喜屋さんに渡してくれたりするそうです。
「untitled」
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「untitled」
「untitled」
「untitled」
重なった袋、トレーシングペーパーを重ねることで透けて見える印字部分、海を渡ってきた途中でついた封筒のシワ、アメコミっぽい絵柄、ハードコアマガジンのような文字、など、本展のタイトル「wackycore」が一番感じられる作品群と思いました。
会場のFARO Kagurazaka Galleryの方にお話を伺うことができ、本展には「解放」というキーワードがあると知りました。よく観察すると、登場しているロープのモチーフが切れていたり、切れそうだったりしています。
「Brain is in a state of raptures」(部分拡大)
「untitled」(部分拡大)
私たちを縛りつけている何かからの解放。ひょっとしてそれは「縛りつけている」と認識されておらず私たちを「繋いでいる」と信じられているものかもしれません。先ほど、日課には心を落ち着ける効果があると書きましたが、その日課が何かの理由で行われなかった際には、精神状態はどうなってしまうのでしょうか。何かに縛られている状態は安定をもたらしますが依存状態ももたらします。
この斧はロープを切るための道具という見方もできます。
ホームセンターで購入した本物の斧だそうです。前回、ご本人にお会いできた時、映画がお好きと伺っていたので「シャイニング」のイメージも浮かびました。
そんな「恐怖」のイメージもありますが、斧には私たちを解放する「救世主」という側面もあるのかも。
こちらの大きな釘も本物です。
ハードコア・パンクのような音楽の種類は、単純に激しい、破壊的、というイメージがありながら、聴くとストレスが発散されるように思います。過激な音楽は聴き手の怒りを鎮めるという研究結果が、オーストラリアのクイーンズランド大学にて得られたという話もあります (参照:rockinon.com「【科学でロック】メタルやパンクなどのエクストリーム・ミュージックは怒りを鎮める効果がある?」)。
本展「wackycore」も、見た目に鮮やかで興奮する要素があり、また、終焉を迎えたかのような世界観、安定という依存からの解放とも取れるキーワードがありながら、鑑賞時〜鑑賞後の精神はとてもスッキリしていて、デトックスしたような感覚がありました。
破壊にしろ余白にしろ、個の中の世界であればいかようにもできます。そして個人の中の、ひょっとしたら凝り固まってしまって不自由な世界は、定期的に破壊すべきなのかもしれません。そんな過激な個の自由が認められるためには、他の自由を侵害することは認められない。
なかなか様々な解釈ができる展示でした。作品から何が見えるでしょうか? ぜひ足を運んでみてください。
展示風景画像:我喜屋位瑳務 個展「wackycore」
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