石井海音 個展「warp」
会 期:2022年5月5日(木) - 2022年5月22日(日)
時 間:木金 13時-19時 土日祝 12時-18時
休 廊:月火水
場 所:biscuit gallery 1階 - 2階
展覧会URL:
かわいー!
石井海音さんが描く女の子を見た時の第一印象です。可愛い絵ってとても難しいことなんですよ。「可愛い人」「美しい人」を描いてください、というオファーで描けなくて何枚もデッサンに明け暮れた藝大卒の美術教師のエピソードを知っています。美人とされる人をモデルに精密なデッサンができる人はいても、そこから感じられる「可愛さ」「美しさ」という概念は写しきれない場合がある。これは作家側が持っている「美的感覚」によるとしか言いようがないです。元から持っている「才能」の一つと思っています。
本展「warp」では、石井さんが描く可愛い人物のポートレートを中心に作品が展示されています。
「portrait #1 - #9」
かわいー! 展覧会のメインビジュアルにも採用されている作品群。みんな違って、みんな可愛い、、、。瞳が顔からはみ出ているのに可愛いって、すごくないですか? しかも、彼女たちの表情から感じるのはアンニュイさ、思慮深さ、知的さで、比較するなら例えば、顔面修正アプリで加工した顔に見られるような陽気さ、アホっぽさ (失礼) とはかけ離れているんです。
「portrait #7」
明るい髪、そばかす、タンクトップ。視線はとても物憂げ。
「portrait #5」
凛とした強さを感じる。この子の瞳が一番潤んで見えたんですが、強い。内面と外面のギャップを探りたくなる魅力があります。
そして向かい合うように画中画を描いた作品が展示されていました。
「ポートレートの絵」
ふあー。私こんなに可愛くないもん! と少女漫画の主人公のごとく叫んでしまいそうですが、この「ポートレートの絵」を観る鑑賞者が中央の人物として映し出されているような展示位置。背景に描かれた作品群の再現率すごい。
「ポートレートの絵」(部分拡大)
このコで検証だ!
「portrait #6」
ほぼ同じ。すごい。
「ポートレートの絵」(部分拡大)
まるで自分を鏡で見ているように対峙するこの顔は、たとえ自分が生物学上男性であったとしても、自分自身をこの人物に重ねてしまいそうな何かがあります。石井さんの絵の前では、自分の中のアンニュイな乙女の部分が現れる。
「ポートレートの絵」(部分拡大)
微かに開いた口。「あ」という音が漏れ聞こえてきたら、それは自分が発した声のはず。これはこの絵を観る人それぞれの中にいる霊体を描いているのか?
冒頭でお話しした「可愛さ」「美しさ」の概念は、ある種、実態のないものです。なので、正確なデッサンで写し取れるものではない。見える人と見えない人がいる、感じる人と感じない人がいる、描ける人と描けない人がいる。霊体のようなものと言えるでしょう。
霊体のようなものが描ける石井さんの作品には、おばけ、ghost、精霊らしきものが多く登場します。
「abduction (cow) 」
abductionは拉致という意味です。UFOが牛などを拉致して内臓などを抜いたという都市伝説があります。キャトルミューティレーションという言葉もありますね。
「abduction (cow) 」(部分拡大)
風の精霊さんが踊るように通り過ぎていく。ヒールを履いた足、または手に見える。
「おばけの上に乗る山羊」
山羊にも女のコの顔が。
「サントールと足だけおばけ」
サントールはケンタウロス (上半身が人間、下半身が馬というギリシャ神話の半人半獣) のこと。
「光を浴びるチューリップ」
チューリップさん、可愛い。
「暑い夏」
暑くて溶けた人物か、熱気そのものの精霊か。
「Two rainbows」
左上に見える絵の中の虹と、画面右側の窓の外の虹。セピア色の色調で統一されているから、顔料で描かれた画中画の虹のグラデーションと、光として全体的に白っぽく表現される窓の外の虹との差がよくわかります。両方ともこの絵の中に「描かれた虹」ということを考えると表現の仕方の差に考えが及びます。
「幽体離脱」
題名のとおり。だけど、どっちが霊体? 起き上がった人物のほうに光を感じます。
「原っぱの花瓶」
「原っぱの花瓶」(部分拡大)
原っぱの記憶か、花瓶の中でくつろぐチューリップさんの精霊か。
「紫蘇の種」
紙の上に集められた種がとてもリアル。生命がぎゅっと詰まっている。種を残し、また繰り返される生命。
「星を眺めるチューリップ」
夜露に濡れたチューリップさんの瞳。星を眺めて何を思うのだろう(どうしてもチューリップ「さん」と言いたくなる)。
「My ghost walking」
「My ghost walking」(部分拡大)
My ghost を追うのは意識でしょうか? どっちも ghost?
「My ghost walking」(部分拡大)
背景の扉の前では立体的に浮かび上がっている線と、白い ghost (?) に重なる部分では馴染んでいる線。この描き分け、実物の絵を観てちょっとびっくりしました。
「My ghost floating」
「My ghost floating」(部分拡大)
白い ghost も幾重か重なっている。
「Touch my ghost」
「My ghost hiding」
「夏の終わり」
ケンタウロスのような登場人物たち。思い出は絵の中に入っているの?
「夏の終わり」(部分拡大)
おばけいる。
biscuit galleryさんのサイトには岡本秀さんによるテキストが寄せられており、それによると、石井さんは以前のインタビューで、絵が何年も残ってほしいということを「遠くに投げたい」と表現されたそうです。
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美術館などで普段観る作品は、そうして数々の時代へと投げ出され、なお現在に残ってきたものなのだ。たしかに、人の見る目は変わるし、絵も老いる。それでも、絵画は、原理的には人よりも永い時間に生きている。時間や場所を越えて、ひとは遠い昔の対象と出会っている。
個展につけられたタイトルには、絵画空間の次元を行き来することとともに、そんな風に時空の歪みを耐え抜いてきた絵画に対する、石井の密やかな憧れと願いが感じ取れる。
( biscuit gallery 岡本秀(Shu Okamoto)によるテキスト より抜粋 )
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なるほど、本展タイトルの「warp」には、そのように、時代を越えていく作品への憧れや願いもあるとすると、作品そのものに宿っている「おばけ」の存在も見えてくるような気がします。
未来の時代の人間が石井さんの作品に出会った時、何を思うかは分かりません。ですが、私たちが生きている時代には、この、大き過ぎる潤んだ瞳を持つ表情に「可愛さ」という概念を感じ取った人間がかなりの数存在した、ということの証明となってくれたら最高だな、と思いました (作品はほぼ Sold out です) 。少女漫画の瞳が顔の1/3を占めようとも関係ない。可愛いものは可愛い。1/3なんて甘い! 1/2、瞳が輪郭からはみ出しても可愛いんじゃ、見たか!
biscuit galleryさんのサイトには岡本秀さんによるテキストが寄せられており、それによると、石井さんは以前のインタビューで、絵が何年も残ってほしいということを「遠くに投げたい」と表現されたそうです。
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美術館などで普段観る作品は、そうして数々の時代へと投げ出され、なお現在に残ってきたものなのだ。たしかに、人の見る目は変わるし、絵も老いる。それでも、絵画は、原理的には人よりも永い時間に生きている。時間や場所を越えて、ひとは遠い昔の対象と出会っている。
個展につけられたタイトルには、絵画空間の次元を行き来することとともに、そんな風に時空の歪みを耐え抜いてきた絵画に対する、石井の密やかな憧れと願いが感じ取れる。
( biscuit gallery 岡本秀(Shu Okamoto)によるテキスト より抜粋 )
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なるほど、本展タイトルの「warp」には、そのように、時代を越えていく作品への憧れや願いもあるとすると、作品そのものに宿っている「おばけ」の存在も見えてくるような気がします。
未来の時代の人間が石井さんの作品に出会った時、何を思うかは分かりません。ですが、私たちが生きている時代には、この、大き過ぎる潤んだ瞳を持つ表情に「可愛さ」という概念を感じ取った人間がかなりの数存在した、ということの証明となってくれたら最高だな、と思いました (作品はほぼ Sold out です) 。少女漫画の瞳が顔の1/3を占めようとも関係ない。可愛いものは可愛い。1/3なんて甘い! 1/2、瞳が輪郭からはみ出しても可愛いんじゃ、見たか!
勝手に盛り上がって未来人に挑むような気持ちになってしまいましたが、作品に込められた様々な「おばけ」を感じとれる展覧会です。ぜひ足を運んでみてください。
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