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感想 幸田千依​​ 個展「ひとつの窓と11枚の絵」

 

幸田千依 個展「ひとつの窓と11枚の絵」

 

会 期:2022年5月27日(金) - 2022年6月26日(日)

時 間:水-土 11時-19時  日 12時-18時 

休 廊:月火祝 

場 所:LOKO GALLERY

展覧会URL:

https://lokogallery.com/archives/exhibitions/one_window_and_11paintings


 

本展のメインビジュアルを見た際に、同じモチーフの絵が並んでいることに正確には気づけずに、感じる温かみがいいなと思いました。何か地図が並んでいるような。

 

幸田千依さんは1983年生まれ、多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。2009年、大分・別府で行われたアートプロジェクト「別府現代芸術祭 混浴温泉世界」に参加した際、国内外の様々な作家との出会い、制作現場 / 展示会場という境のない環境を経験したことがきっかけとなり、滞在制作を活動の中心に据えていきます。「別府現代芸術祭 混浴温泉世界」の「わくわく混浴アパートメント」への参加経験を経て幸田さんは

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「それまでは、絵は密室で没頭して描くものだと思ってた。その概念が一気に崩壊した衝撃的な体験だった」

 

(colocal 「神奈川県横浜市寿町」より抜粋)

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と振り返っています。

 

 

以後、幸田さんは別府の他にも、鹿児島・甑島 (こしきじま)、千葉・柏、神奈川・寿町、京都、山梨・甲府などで滞在制作を行なってきました。一度きりの滞在ではなく同じ場所に二度三度と戻って制作をすることもあるそうです。その「まち」のコミュニティに入り、知り合いが出来、制作をし、伝える。だから何度も戻る。個人的には「日本三大寄せ場」の一つである寿町での記事「colocal 神奈川県横浜市寿町 幸田千依、絵描き。横浜のドヤ街・寿町から絵を放つ。」を読み、幸田さんが「絵を描くためにまちに住む」ことで絵描きとしての生き方を体現していることにとてつもない熱量を感じました。「まち」に暮らすということ、人と知り合うということ、絵を描くということ、伝わるということ、「絵描きというのは職業でなく生き方」ということ。何となしに街の雰囲気を伝え聞いて育った市内在住の私からすると、「ドヤ街」と呼ばれ、特殊な場であり続けることで救いにもなっている「寿町」に滞在すること自体が、とても熱量のいることに思えてしまいます。

 

 

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 「完成した作品だけがアートなのではなく、

つくるプロセスが大事なんだという意識が

どんどん強くなってきてる。人に見せて、人と関わって、

そのことで自分自身が変化していき、結果として

絵ができあがる。そして、それをちゃんと伝える」

 

(colocal 「神奈川県横浜市寿町」より抜粋)

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「寿は、自分がすごく守られて生きてきた存在だということが

よくわかる場所。いろいろ苦しんですべてを失って、

ただひとりになったとき、それでも自分は自分でいられるのか。

しんちゃんやスーさんが絶対的にすごいと思うのは、

彼らがそれを保ってる人たちだから。

私はアートにすがって生きていることを自覚してる。特に

絵を描き出す前は親にも心配される弱い人間だったと思う。

今後、たとえばもし自分の両腕がなくなって絵が描けなくなったら、

そのとき自分は起き上がれるだろうかと考えたとき、

それをやってのけた人たちが目の前にいる。

全然同じフィールドには居ない、私にはできないと思う。

そういう人になりたい。どうしようもなくても、

どうしようもないなりに、毎日笑って生きている人たち」

 

(colocal 「神奈川県横浜市寿町」より抜粋)

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抜粋ばかりで申し訳ないですが、とても感銘をうけた記事なのでぜひご一読をおすすめしたいと思います。

 

colocal 「神奈川県横浜市寿町  幸田千依、絵描き。横浜のドヤ街・寿町から絵を放つ。」ーー https://colocal.jp/area-magazine/no03-kotobuki/01/

編集/執筆・松井亜芸子

撮影・鈴木拓也、竹内海人、幸田千依

ムービー撮影・五十嵐隆裕

ムービー音楽・omu-tone『縞々2』

(MIDI Creative)

協力・寿オルタナティブ・ネットワーク

 

 

さて、なぜ幸田さんの以前の活動をご紹介したかと言いますと、密室での制作ではなく開かれた外での実体験を全身で表現されてきた幸田さんが、出産・育児という出来事もあって、5月の、室内から見えるベランダの洗濯物、という限定的で同じモチーフの作品を11点制作し、本展はそれらを展示するものだったからです。主に屋外において、自身の外側にいる他者との交流の中で受けた影響・変化といったものや、足で歩いて見た景色などが制作の動力であったと推察される幸田さんが、新たな視座から描いた、ということ。それまでの軌跡がとても重要に思えたからです。

 

「窓から、光」


「窓から、光」(別角度より撮影)

 

 

以下に紹介する作品画像を見ていただくとわかりますが、別の季節の同じ窓からの風景、ではなく、画面左側に見える鯉のぼりや洗濯物の並び方から、ほぼ同じモチーフを繰り返し描いている作品群だとわかります。

 

「ひとつの窓」No.4

 

「ひとつの窓」No.7


 

「ひとつの窓」No.2

 

「ひとつの窓」No.5

 

「ひとつの窓」No.5 (別角度より撮影)


 

「ひとつの窓」No.6

 

「ひとつの窓」No.9

 

「ひとつの窓」No.8


 

「ひとつの窓」No.3

 

「ひとつの窓」No.10

 

「ひとつの窓」No.1


モチーフは同じであるのに、額は変えている。観る人の心情や状態が変われば、同じ風景が違うものに感じられるということを表しているようにも思います。

 

 

今までの自分のやり方、外との関わり方、制作の動力となるもの、それらを一旦リセットせざるを得ない変化が訪れた幸田さんの反応はどういったものだったのでしょうか? 当初には戸惑いや不調もあったのではないでしょうか?

 

 

 

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もうずっと 絵を描くことと その時在る場所の必然が一致してきている

初めての土地を訪れる時 私の今描きたいものはそこにあった

様々な縁で これまで沢山の場所に運んでもらうことができ その都度

絵を描くことと生きていくことがひとつの歯車になって次へと進んできた

 

2019年に人生初の出産をして 私の当面の居場所が家になった

心身はひとつだなあと痛感させられる日々の中 今思うと 赤ちゃんはいつだって健やかで

濁りなく育ち 私はいつの間にか身についた自分の体や心のクセの多さに四苦八苦していた

 

絵を描くことなどしばらく頭になかったが 毎日部屋のソファに座り 赤ちゃんを抱きながら

ベランダに干してある洗濯物を見るともなく眺めていた

以前より増えた洗濯物が 赤ちゃんのための五月の鯉のぼりと共にはためいている

それは一瞬でもあり 毎日の連続の景色でもあり

時が前に進んでいることの証でもあった

 

心身の変調でぼーっとした眼で毎日窓の外をぼんやり見ていると

今までのように景色に出会い 絵を描いてきた時とは全然違う感覚で

目の前にあるものを見つめているということがわかった

 

一瞬ごと違う 洗濯物のはためきの中に 自分の体験や経験とは違う 不動の

「いつもあるもの」をじんわりと感じ取ることができた

そしてその思いが「五月の窓辺」という一枚の絵となった

 

その絵を描いてから2年ほど時が経って 私は今回 またベランダの洗濯物の絵を描くことにした

 

この2年のあいだ 外に出て絵を描くこともあったが 子供との暮らしと並行する制作や

今の時代の状況下で元々の出不精が加速して あいかわらず私の目の前の景色は

ひとつの窓とその奥の洗濯物だった

 

全てのものは動いていて 変化していないものはひとつもなく

洗濯物の中に新しい子供服や布マスクなどが加わっているけれど

五月にはまた鯉のぼりを出し はためく洗濯物の中の「いつもあるもの」は健在だ

 

これはまるで 万華鏡を覗いて見たときのように

自分が何を見ているのか判断できないままに見つめ続けてしまう景色なんだと感じた

 

そしてこの絵を描きながら 私はひとりぼっちではないというふうに思った

昔の自分と 今の自分と これからの自分が横に並んでそれぞれ

同じ景色を見て語らっている

目の前のことが全てのことにもれなく続いてきたのだなと思う

 

完成した絵が このような実感を元にして

昔の 今の これからの人たちに向けて 伝わっていくよう

色彩からの伝言を 私なりに受け取って描いていこうと思っている

 

(「ひとつの窓と11枚の絵」幸田千依 より全文)

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上記ステートメントの中で述べられている、2020年制作の「五月の窓辺」も、本展で展示されています。

 

「五月の窓辺」

洗濯物の数などの違いはあっても、同じモチーフ、同じ構図の作品に違いないのですが、初めに観た「窓から、光」そして「ひとつの窓」シリーズのほうに、より光を感じます。幸田さん本人から発せられる光のようなもの。

 

自分の外から受け継いだものたちは、本人が自覚しようとしていまいと、着実に内部に入り込み、咀嚼され、血肉になっている。外というものには、いつも何気なく眺めている風景も含まれていて、万人が分け隔てなく享受できるもの。そんなことを感じました。

 

「窓から、光」

 

再度、引用します。

 

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「たとえばもし自分の両腕がなくなって絵が描けなくなったら、

そのとき自分は起き上がれるだろうかと考えたとき、

それをやってのけた人たちが目の前にいる。

全然同じフィールドには居ない、私にはできないと思う。

そういう人になりたい。どうしようもなくても、

どうしようもないなりに、毎日笑って生きている人たち」

 

(colocal 「神奈川県横浜市寿町」より抜粋)

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という本人の言葉を改めて読み返すと、

幸田さんはもう、「そういう人」になっている。どういう状況であっても「絵描き」なんだということが伝わってきて、温かさの中に力強さを感じました。初見で抱いた「地図のよう」という感想も、あながち間違っていなかったのではないかしら。幸田さん本人が歩いてきた地図です。

 

 

同会場には他のモチーフを描いた1作品もありました。

 

「嵐だった日のカフェ」

 

また、同時期に府中美術館にて公開制作も行われています。詳細は以下リンクをご参照ください。

 

府中美術館 公開制作84 幸田千依 「空と競馬場」ーー https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/koukaiseisaku/kokaikaisai/kodachie_kokai.html

 

風景の中に心情が滲むような作品を制作する幸田さん。これからの作品はどういう光を纏っていくのか、実際に目撃できる機会は今後も続いていきます。


 

絵描きという生き方の地図の中の、ひょっとしたらとても重要な場所に触れたのかも知れない、そう感じさせる展覧会でした。ぜひ、足を運んでみてください。

 

 


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