横山隆平 個展「HOLES and SCARS」
会 期:2022年6月10日(金) - 2022年7月16日(土)
時 間:13時-20時
休 廊:日月火祝
場 所:KANA KAWANISHI GALLERY
主 催:カナカワニシアートオフィス合同会社
展覧会URL:
https://www.kanakawanishi.com/exhibition-034-yokoyama-holesandscars
横山隆平さんは1979年生まれ。「都市とは何か」をテーマに、モノクロフィルムによる都市写真を中心に作品を展開、国内外で発表されています。
本展「HOLES and SCARS」では2020年より取り組まれている〈WALL〉シリーズ (ライフワークとして撮り溜めた渋谷のグラフィティのアーカイブ写真を、UVプリント技術を活用し幾重にも出力を重ねてつくり出した新たな都市風景写真のシリーズ) に加え、新作〈STUFF〉シリーズ (路上に転がるモノの写真に風化という視点を通して制作されたシリーズ) を組み合わせ、都市風景の一片を提示する試みです。
アーティストステートメントにある「いつだって変革は煌びやかなものらではなく、擦り切れる程に傷ついたそれらによって為されると、それらはまた語りかけているようでもあった。」「気付けばジーンズはいつだって傷つき破れているのだった。僕の過ごしてきた時間もまたおよそそのようなものだった。僕の写真は記録でも記憶でもなく、風化してゆく現在である。」という言葉が印象的で、本展で表現されていることがすっと入ってくる気がしたので全文引用させていただきます。
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姿勢を留められぬほど履き潰されたブーツ、表皮のひび割れた鞄、擦り切れ穴の空いた麦藁帽子、骨折れたビニール傘──。
街を歩けばそんなモノばかりが僕の前に踊り出てくるのだった。
というよりも、僕の視線にこれまでに経験した全て、そして見聞きした書物や音楽、映像といった深く潜像していたそれらが色濃く、抗いようなく反映されているのでもあった。
都市と反骨と自由──。
いつだって変革は煌びやかなものらではなく、擦り切れる程に傷ついたそれらによって為されると、それらはまた語りかけているようでもあった。
本展示は、ストリートにおける雑多な壁のその存在の有り様をテーマとした〈WALL〉シリーズと、路上に転がるモノの集積による〈STUFF〉シリーズを組み合わせ、都市風景の一片を提示する試みである。
解体と構築の速度それ自体を成り立ちとするような都市を考える時、「失われ続け損なわれ続けることで、新たなる様相となること」、「加算され掛け合わされ続けることで失われてゆくこと」、そして「消失と出現が均質に漂流し続けること」が両シリーズに貫かれた主要テーマであった。メディア選定からプリントに至るまで意図的に荒らされたイメージは、それらを具現化する行為であり、前述の通りの逃れようのない極めてプライベートな視線と、作家としての都市観を接続させる装置の役割も担っている。
HOLES and SCARS—気付けばジーンズはいつだって傷つき破れているのだった。僕の過ごしてきた時間もまたおよそそのようなものだった。
僕の写真は記録でも記憶でもなく、風化してゆく現在である。
横山隆平
(「HOLES and SCARS」アーティストステートメントより全文)
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「WALL stanza (Third) 」
「WALL stanza (Third) 」(左部分)
「WALL stanza (Third) 」(左部分拡大)
グラフィティの重なりが感じられます。
「WALL stanza (Third) 」(中央部分)
「WALL stanza (Third) 」(中央部分拡大)
表面にはざらっとした、補修したばかりのアスファルトのような質感の部分もあります。
「WALL stanza (Third) 」(右部分)
「WALL stanza (Third) 」(右部分拡大)
ステッカーのようなものも見えます。重なりが何か像を結びそうでもあり、元の様子は重なりの奥に閉じ込められたようでもあります。
「WALL stanza (Third) 」(別角度より撮影)
表面のざらついた部分がキラキラと光って見えたり、見る角度によっても様々な表情を楽しめます。
元のものより「上手い」ものであれば上書きして良いという暗黙のルールがあるグラフィティは、諸行無常、栄枯盛衰という人間の有り様を表す都市そのものの象徴と言えそうです。
ちょうど最近 (2022年6月) の話題で、渋谷の高架下に描かれたアトムのモザイク作品が撤去されたというニュース (YAHOO JAPAN ニュース 「渋谷の有名路上アート「ドット絵アトム」が撤去 1億6500万円の価値も?区に見解を聞いた」) があり、1億6500万円の価値に相当した? という憶測や撤去を残念に思う声と、儚さが醍醐味、消されることも込みでアート、という意見も聞かれ、グラフィティという文化について考える機会がありました。確かに「有名アーティストによるものだから」とか、「高価だから」などの理由で保存する、というのも線引きが難しいですし、その動機だとちょっと権威主義的で、グラフィティが持っていたストリートの精神とは真逆な印象も受けます。
「WALL crack #16」
コンクリート片にUVプリント。ベルリンの壁の崩壊を連想してしまう。壁に描かれるグラフィティ、という組み合わせはやっぱり人間の営み、歴史を負った都市の一部という気がします。
「Engrave the date (WALL crack #07)」
「日付を刻む」。取り出された壁は、その日、その時代の空気を纏っている、と読めます。奥にある作品は、、、?
「Engrave the date (WALL crack #03)」
日付が正面に描かれています。河原温さんのTodayシリーズのような雰囲気もある。Todayシリーズは厳しい条件 (筆跡を残さない、その日のうちに完成しなかったら破棄など) のもと「日付を描くこと」を目的としたものでした。横山さんのこの作品も、その日、その時の「壁」という意味が窺えます。
左奥:「Engrave the date (WALL crack #07)」(別角度より撮影)
右手前:「Engrave the date (WALL crack #03)」(別角度より撮影)
「Engrave the date (WALL crack #07)」の方にも日付がありました。
コンクリート片の作品越しに見えるのは、「路上に転がるモノ」に風化が加わった〈STUFF〉シリーズです。
「Bag_1/27 [October 9, 2021] from the series STUFF」
「Straw Hat_1/27 [June 10, 2022] from the series STUFF」
「Boots_1/27 [June 9, 2022] from the series STUFF」
「Boots_1/27 [June 9, 2022] from the series STUFF」(部分拡大)
経年で写真に引っ掻きキズがついたように見えますが、「pigment foil」とあるので、顔料が乗っているようです。
〈WALL〉シリーズを象徴的なグラフィティになぞらえると、「上書き」「撤去」「崩壊」「瞬間」というような、ステートメント内の「消失」という言葉のイメージが認識できたのですが、〈STUFF〉シリーズには、路上に転がるすでに忘れ去られたモノに、さらにエイジングのような風化を加えて見せていることで、新たな価値の「出現」をより感じました。ただ、どちらが「消失」「出現」というわけではなく、両方の要素は〈WALL〉シリーズにも〈STUFF〉シリーズにもあります。〈WALL〉シリーズの、グラフィティが重なることにより新たな像が「出現」するところであるとか、〈STUFF〉シリーズの風化、エイジングを加えることにより、元の写真が部分的に「消失」しているようなところです。
一番初めにご紹介した3枚1組の〈WALL〉シリーズ「WALL stanza (Third) 」と、〈STUFF〉シリーズの3作品「Bag_1/27 [October 9, 2021] from the series STUFF」、「Straw Hat_1/27 [June 10, 2022] from the series STUFF」、「Boots_1/27 [June 9, 2022] from the series STUFF」は向かい合って展示されていて、その間には壊されて破片になった壁、「WALL crack #16」や「Engrave the date (WALL crack #07)」「Engrave the date (WALL crack #03)」があります。「消失」と「出現」に壁のような境はなく、ステートメントにあった「均質に漂流し続ける」ということが表現されている展示位置のようでした。
サイドの壁や奥の部屋にも作品は続きます。
「WALL crack #41」
左:「WALL crack #39」 右:「WALL crack #32」
「〈反骨と自由よりの使者〉より
《RIDER'S JACKET [No.01 Feb 11, 2022] 》」
「いつだって変革は煌びやかなものらではなく、擦り切れる程に傷ついたそれらによって為されると、」語りかけてくるモノたち。
「〈反骨と自由よりの使者〉より
《RAT [No.01 May 5, 2022] 》」
ドブネーズミ、みたいに
この流れだと聴こえてきますね、あの歌い出しが。本展では壁などものともせず行き来する生き物としても映りました。
左:「WALL Buff #02」 右:「WALL Buff #01」
〈WALL〉の向かいには、
中央奥:「Umbrella_1/27 [April 7, 2022] from the series STUFF」
〈STUFF〉があります。(逆さの王冠に見えるのは、バスキアのキングマーク?)
「WALL crack #37」
「WALL crack #36」
「WALL crack #38」
「WALL crack #35」
コンクリートブロックの形状なのでこの形なのだと思いますが、だんだん、この WALL crack がエレキギターのヘッドとか、エフェクターに見えてきました、、、。
「〈反骨と自由よりの使者〉より
《ゴッホの古靴 [No.03 Apr 23, 2022] 》」
「〈反骨と自由よりの使者〉より
《ゴッホの古靴 [No.01 May 16, 2022] 》」
「〈反骨と自由よりの使者〉より
《ゴッホの古靴 [No.02 Mar 31, 2022] 》」
横山さんのインスタグラムに、ゴッホの古靴についてコメントがありました。
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古靴の写真がある。
ただ置かれているのか、捨てられているのかは分からない。
ただ一様に陽だまりの中、くたびれて佇んでいるのだった。
いつかみたゴッホに古靴の絵画があった。
その絵には、彼の持つ特徴はこれといって見当たらず、
絵描きなら、とりあえず誰でもやるような習作みたいなものだった。
それはゴッホでもゴッホでなくてもよかった。
僕はその絵が好きだった。
(Ryuhei Yokoyama インスタグラム投稿 より)
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横山さんが表現する都市には、個々人のパワー、意志、反骨の精神、自由への渇望、などが確かに感じられ、それは特定の一人のものではなく、アノニマスな個人として認識できます。「ストリート」の中に根付く息遣い、とも言える。権威主義の反対にあるもの。そしてそれは、記録や記憶上に残っている過去のものでは決してなく、常に現在において存在している。ゴッホでもゴッホでなくても、どっちでもよい (ほど、そのもの自体が好きな) 絵。大事に置かれているから価値があるわけではなく、たとえ捨てられていたのだとしても、美しさがある古靴。写真には写らないかもしれないその美しさを、横山さんは捉えようとする。
本展タイトルの「HOLES and SCARS」についても、穴が空いた、傷がついた、とだけ聞くとマイナスイメージに直結しそうですが、「ジーンズ」という例があるように必ずしもマイナスというわけではない価値観が存在します。穴や傷がなければ、生きている個人を表現することはできないのではないか。傷つき破れてしまったモノの美しさに、改めて気づかせてくれる展覧会でもありました。いや、純粋に「見た目」に説得力あるかっこよさです。ぜひ、足を運んでみてください。
展示風景画像:横山隆平 個展「HOLES and SCARS」
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