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感想 笹田晋平 個展「ビューティフル・イミテーション」

笹田晋平 個展「ビューティフル・イミテーション」

 

会 期:2022年8月2日(火) - 2022年8月14日(日)

時 間:17時-26時

休 廊:月

場 所:デカメロン

宣伝美術:奥田奈保子(NiNGHUA)

構想:吉田山

主催:FL田SH

共催:黒瀧紀代士(デカメロン)/FLOATING ALPS LLC

入場料:500円 (共同個展合わせて鑑賞可)

展覧会URL:

https://decameron.jp/exhibitions/220802.html


 

本展は、笹田晋平/宍倉志信「ビューティフル・イミテーション/だれもあなたのことを忘れてくれない」という共同個展で開催されており、それぞれ別記事でレビューさせていただきます。もう一つの展示は→こちら

 

本展構想の吉田山さんによれば「それぞれの個展は大枠でのコンセプトやテーマを設定することなく、別の展覧会として話し合いを進め、グループ展とは別の仕方を構想し、制作されました。(展覧会URLより)」とのこと。文字通り「別の展覧会」でありながら、何か共通のコンセプトを勝手に感じ取ってしまうのが鑑賞者の性。ひとまず別々に記事を読んでいただけましたら幸いです。

 

笹田晋平さんは1984年生まれ、神戸大学発達科学部卒業。第21回岡本太郎現代芸術賞にて入選を果たした「シャケ涅槃会」では仏涅槃図から釈迦 (シャカ) を鮭 (シャケ) に置き換え描いた作品を、2022年に主宰した「アイドル」をテーマにしたグループ展「アイドライゼーション・ポイント」(横浜市民ギャラリーあざみ野) では、アイドルの「グループ」という特徴から、現役アイドルをモデルに描いた群像画「Emperor lesson no.4」「プロメテウスの娘たち」を発表する等、様々な画風の作品を制作されています。

 

本展では笹田さんが2020年より制作されている「点描画」の新作が並びます。会場のデカメロンがある歌舞伎町を描いた作品群です。

 

 

 

「ビニル袋とモダン・ゴースト」

第一印象を素直に言います。不穏しかない。

 

「ビニル袋とモダン・ゴースト」(部分拡大)

タイトルからもビニル袋と分かるのですが、笹田さんのTwitter「飛ぶ歯の絵」というパワーワードを見つけ、もう歯にしか見えない、、、。

 

「ビニル袋とモダン・ゴースト」(部分拡大)

コーラの瓶? またはこれがモダン・ゴースト?


 

「ビニル袋とモダン・ゴースト」(部分拡大)

いや、ゴースト感があるのはどう考えてもこの無数に浮遊する白い何か。点描とキャンバスの目の感じが、昔の、絹目にプリントしたフィルム写真を想起させます。描かれてないものが本当に見えてきそうです、というか、見える。

 


 

そう言えば、心霊写真ってデジタルカメラの普及と共に消えましたよね。あれ、なんだったんでしょうね。

 

 

左:「UFOキャッチャーのある風景」 右:「ゴミ袋と段ボール (青、白、黄のリズム) 」

 

「UFOキャッチャーのある風景」

これはビニルシート越しに見ているのでしょうか。

 

「UFOキャッチャーのある風景」(部分拡大)

右下のシミのようなものは鳥のフン的なものと予想しますが、写真用語で言うところのゴースト現象ぽく見えるところもあるような? というか、奥に続くUFOキャッチャーの前に、何かいませんか?


 

再度、笹田さんのTwitterを引用させていただきますが、笹田さんは「点描ってのは幽霊を描くのには最適、という気付きを得た」と呟かれています。

 

点描は、新印象主義のジョルジュ・スーラが辿り着いた技法として知られています。絵の具を混ぜ合わせたり線を用いて対象を描くのではなく、色彩を点として並べることで、よりリアルな光・色調を表現することを目指した技法です。光を粒子のまま描こうとしていると言えるかもしれません。

 

均一な点 (短い線のこともありますが、規則的に並んでおり作家の恣意がそこには含まれません) で描く点描には、幽霊を紛れ込ませやすい、と笹田さんは気付いたと言うのです。なるほど。筆跡の強弱や線に作家の意図が乗るような描き方では「作家があえてここに何か描いている」ということが分かってしまいます。作家が描いてないものが見える = 幽霊が見える。実際、何か「見える」ような気がしちゃった鑑賞者がここに一人おります、、、。

 

 

スーラの点描は、サンドロ・ボコラが『タイムラインズーーモダニズムのアート 1870 - 2000』の中で示した座標:アートに対する四つの姿勢、の中でいうところのストラクチュラル (構造的) に該当します。

 

 

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ストラクチュラルは、美術秩序の法則をとらえようとする。点描主義、セザンヌ、キュビズム、デ・スティル、構成主義、ミニマル・アートなど。

 

(『二十世紀美術1900‐2010』海野弘 より抜粋)

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点描は法則的で、現実をいかに表現するかに重きを置くもの、と思っていましたが、笹田さんの作品からは「歌舞伎町に漂う幽霊」という現実にはない霊的なもの、ある種の「シュルレアリスム」的なものの存在が感じられ、これって結構すごいことなんじゃないかと思いました。スーラはたぶん、幽霊を描こうとは思っていなかったと思いますが、光学の理論から生まれた点描技法は幽霊を表現し得るものだった、と言うと納得する部分もあったり、ロマンも感じてしまいます。

 

 

 

「ゴミ袋と段ボール (青、白、黄のリズム) 」

この作品の中にも現実には存在しなそうな、絵の具が垂れた表現なども見えますが、、、

 

「ゴミ袋と段ボール (青、白、黄のリズム) 」(部分拡大)

自粛生活を経験した2022年の人類には、目に見えない別の何かを感知する感受性が備わった。そう、ウィルスである。なんて。


 

左:「金曜日 (深夜の詩) 」 右:「深夜3時 (ネズミのいる風景) 」

 

「金曜日 (深夜の詩) 」

点描による輪郭のない柔らかな光の表現は、出されたゴミにも美しさが宿っていることをわれわれに示している。なんて。

 

「金曜日 (深夜の詩) 」(部分拡大)

この青っぽい光の線、霊魂が通り過ぎた跡と見るか、ウイルスが漂っている場所と見るか、、、? それよりも、奥の階段登った辺りになんかいますよね、、、?


 

「深夜3時 (ネズミのいる風景) 」

光って垂れているように見えるものも気になるのですが、階段を登った先にも絶対なんかいるんだよなぁ、、、。

 

「深夜3時 (ネズミのいる風景) 」(部分拡大)

生きているネズミちゃんよりも、画面から感じる幽霊の方が存在感が強い。


 

「早朝 (カラスのいる風景) 」

本展のシリーズには人間が描かれていませんが、画面の中の幽霊とはまた違い、さらに別に存在する「人間」を強く感じさせる展示だな、と思いました。特にこの作品です。早朝に歌舞伎町を歩き、この風景を見ている人間。

 

「早朝 (カラスのいる風景) 」(部分拡大)

早朝、幽霊は帰路に着くところである。


 

「箒と窓」

この作品は笹田さんが橋本に住んでいる時の作品を点描でリメイクしたもの、とのこと。窓の正方形、側面の正方形、キャンバスの正方形、影や、箒の柄、重なっている窓の桟などの縦の線が絶妙で美しい、、、とバランスに見とれる前にですね、感じませんか? 絶対なんかいる! って。

 

「箒と窓」(部分拡大)

どこら辺に、とか、何が、とかでなくて、いるんですよ、何か。分かる。夜に通り過ぎなきゃいけない場所だったらなるべくこっちを見ないようにしよう、となる雰囲気ですね。でも悪さをするとかじゃなさそうだし、問題はないんですけどね。何を言っているのでしょうね。何がそんなに「その存在」を感じさせるのでしょうか。箒やホースに残る人間の痕跡、汗とか菌とかですかね、、、? 点で細かく描かれた熱量と時間がそう思わせる、、、?


 

展覧会タイトル「ビューティフル・イミテーション」とあるように、点描を用いた美しい風景画であるのですが、イミテーション = 現実の模倣、としながらも、ある側面では現実よりもリアルに、普段「見えていないもの」「見ていても無視しているもの」を描き出していると思いました。ビニル袋やビニルシート、ゴミ、道具などに人間の手垢を感じさせ、生ぬるい温度と湿度が漂っています。そういえば、幽霊が登場する時って生ぬるい風が吹くんですよね。怖がりながらも、全くの無人よりは寂しくないのかも!? 奇しくも、共同個展の宍倉志信さんの個展タイトル「だれもあなたのことを忘れてくれない」を当てはめても、なぜかしっくりきてしまう。その言葉は、夜から早朝の歌舞伎町を徘徊する幽霊に向けてかけられた慰霊の言葉かもしれないし、歌舞伎町を行き交う人間に向けて幽霊からかけられた言葉かもしれない。

 

ないはずのものを外に見出して、そのことに恐怖したり安心したりするのが人間。

 

画像は作品のイミテーションです。描かれていないものが写り込んだかもしれません。ぜひ、足を運んで確かめてみてください。


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