梅原義幸 個展「持って戻る」
会 期:2022年8月6日(土) - 2022年8月21日(日)
時 間:12時-19時
休 廊:月火水
場 所:ARTDYNE
展覧会URL:https://www.art-dyne.com/
梅原義幸さんは1997年生まれ。多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業。クリームのように塗られた油絵具で描かれた、特徴的な顔の作品で知られています。2022年2月の初個展「FACE」(GALLERY ROOM・A)に続き、レビューしたいと思います。
前回の個展では、描き出す過程で、自分自身ではないものと自分自身が統合されていく感覚を覚えた、というコメントを寄せていた梅原さん。本展「持って戻る」では「山」を通して、その統合の感覚や、梅原さんと「もの」の位置関係、さらには鑑賞者と「もの」の関係まで、より強く伝わってくる作品群でした。
「FACE_41」
髪の毛が空気に溶け込んでいます。陽と緑の匂いと、そよ風の印象を受けました。風の顔はこんな顔なのかも。下辺に見える作品の影が、絵の具の盛り上がり具合を映しています。
「持って戻る_高原」
「持って戻る_高原」(部分拡大)
顔。
「持って戻る_高原」(部分拡大)
これも顔?
「持って戻る_葉」
何か、、、無表情に見えるのですが、それがちょっと面白い。
「持って戻る_グライダー」
グライダーが空の色。通り過ぎる突風みたいです。
「持って戻る_グライダー」(部分拡大)
顔を探してしまう。白い部分は目かな。
「FACE_42」
緑の精。
「FACE_38」
ちょっと悲しそう? なのが気になりますが、空から見た航空写真のように見える。剥き出しの土の部分。
「FACE_39」
これも航空写真に見える。表情は笑ってる。
「FACE_39」(部分拡大)
この大の字は、、、
「FACE_36」
これも航空写真に見える。無表情。表情の違いになぜかクスッとしてしまう。
「FACE_36」(部分拡大)
ピンクと青い屋根の、住宅とか、建物に見える。
「FACE_43」
赤い傷、、、梅原さんの前回の個展「FACE」を思い出します。
「FACE_43」(部分拡大)
緑の精。傷ついて、何を見据えているんだろう?
「霧ヶ峰」
この作品、いいなぁ。シンプルな中に、注目してしまうポイントが色々。
「霧ヶ峰」(部分拡大)
稜線に覗く顔。優しい顔してる。
「霧ヶ峰」(部分拡大)
稜線の盛り上がりと空の厚さ。
「霧ヶ峰」(部分拡大)
緑の絵具による凹凸。絵でもあるけど、物質という感覚も感じさせます。
「妙義山」
「妙義山」(部分拡大)
山の笑顔にほっこり。山は遠くから眺める分には、穏やかで雄大。
「妙義山」(部分拡大)
大の字。先程の「FACE_39」も妙義山を描いたものでしょうか。
「湯の丸高原」
雰囲気すごいありますね。
「湯の丸高原」(部分拡大)
機嫌悪い?
「FACE_37」
「FACE_37」(部分拡大)
地図を見ているような感じがする。
この、大きな山々、高原、緑にも顔がある描写には、それら自然にも人格があるという感覚を呼び起こさせます。大自然に触れると気分が晴れ、励ましをもらったように感じたり、植物の成長過程に心が動かされ、話しかけてしまうような経験は、多くの人にも心当たりがあるのではないでしょうか。
本展のステートメントを読むと、「山」が見せる気配について、梅澤さん自身との関係をより理解することが出来ます。
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落ち着かない時は山に入る、そこには沢山の気配がある。
鳥の鳴き声、獣道、音や匂い、それに加えて石や木、川の水、全てが持っている。
気がつくと散らばった意識を集中させてその見えない姿を想像している。
気配に私が持ち込んだ沢山が包まれて行く、絆創膏のように被さって形になった。
私はそれを持ち帰り絵を描いた。
キャンバスとイメージの間を行ったり来たりする、
この工程では山の光景を思い出すと同時にひたすら自分を見つめることになる。
繰り返していくとイメージは独立した物となって現れた。
記号のように単純な瞳が沢山の情報を持ちながら、逸らした目で再度自分を見つめてくる。
私が見てきた沢山から逃げることはできない。
そしてまた絆創膏のようなあの気配を探して外に出る。
あのとき感じた気配は最初から自分の中にあったのではないかと思う。
梅原義幸
(梅原義幸 個展「持って戻る」 アーティスト・ステートメント より全文抜粋)
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自分自身ではないもの、の気配に包まれて、その気配を持ち帰り、表そうとした時には自分を見つめていることに自覚的になる。自分自身ではないものの気配は自分の中にあったのではないか、という考えがとてもよく伝わってきます。
本展のタイトルが「持って帰る」ではなく「持って戻る」というところに、自身の中に元々あったもの、という意味合いが含まれているようです。
「持って戻る_石ころ」
じっと考えているような、、、。
「持って戻る_石ころ」(部分拡大、別角度より撮影)
「持って戻る_レンゲツツジ」
可愛い。花には人格あると、疑わずに思ってしまう。
「self portrait」
自分を描く時には、描かれたものと描いた自分との間には物理的に距離が出来るわけで、自分自身に集中し見つめながらも外に放り出されたものを見る感覚は、世界と自分の関係を掴むキッカケになったのではないだろうか、と思ったりしました。
「self portrait」(部分拡大)
単純なまでにデフォルメされた形状や、クリームのように油絵具を乗せる身体の運動は、ひょっとしたら梅澤さん自身の意図を出来るだけ遠ざけた為にそうなったのかも知れず、それは自分自身ではないもの、自然に近いものなのかも知れない。そこにこそ、自分自身が宿って見えるという逆説的な発見があったのかもしれない。
「self portrait」(部分拡大)
単純な形状というのは、自身が受け取ったイメージを研ぎすまさなければ出せないもの、と思います。
本展のステートメントで印象的だった言葉は
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私が見てきた沢山から逃げることはできない。
(梅原義幸 個展「持って戻る」 アーティスト・ステートメント より抜粋)
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というものです。
どんなに自分自身と距離のあるものでも、見ているのは「自分」なので、究極、自分自身の中にあるものを見ている、ということになる。
作品鑑賞の時にいつも似たようなことを感じていて、作品と対峙する時には、自分自身と対峙している、ということです。思いもよらない自分自身が見えたりもして、それが強烈な印象に残ることもある。
作品に限らず、自分自身でないものと自分自身の関係性を表しているのが梅原さんの作品で、それをまた鑑賞者が鑑賞者自身を投影して観る、というなかなか面白いことが起こっているなと感じました。
「像 #01」
この作品のモチーフについては鑑賞者それぞれで感じ方の差が出そう。私は「振り返った友人」という印象です。
「持って戻る_妙義町」
帰る場面を感じ取りました。山はちょっと寂しそうに見える。人物は「また来る」と言っている。旅の際に毎度そう思っているのは、鑑賞者の私自身だったりします。
前回の個展とはまた違い、「山」の要素が入ったことでさらに梅原さんの作品に近づけた気がします。
夏らしく、山に行った後の清々しさも感じることが出来ました。ぜひ、足を運んでみてください。
展示風景画像:梅原義幸 個展「持って戻る」
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