福島淑子 個展「Iridescent Memories」
会 期:2022年10月22日(土) - 2022年11月19日(土)
時 間:11時-19時
休 廊:日月祝
場 所:GALLERY MoMo Ryogoku (両国)
展覧会URL:
福島淑子さんは1985年生まれ、武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。シェル美術賞展 (現 Idemitsu Art Award) で2006年に審査員賞、2007年にグランプリを受賞。主に、観る人を引き込むような不思議な魅力のある人物画を発表されています。本記事でご紹介するGALLERY MoMo Ryogoku (両国) の個展「Iridescent Memories」では新作が、同時期開催のGALLERY MoMo Projects (六本木) では旧作が鑑賞出来ます。新旧の作品群の共通点や相違点を見比べることが出来、興味深い展示構成になっています。→旧作展「Back to the Past Memories」の記事はこちら。
「Untitled」
かっこいい、という第一印象でしたが、どこかで見たことあるような顔です。ハリー○ッターのマ○フォイでしょうか、、、? いや、確証はありません。
「Untitled」
この顔の表情も何となくどこかで見たような気がします。誰であるとかそういう確実なことは言えません。フワッとしてますが、90年代のドラマに出てくる女優さん、、、?
「dear. F.G」
おお? ギタリストの布○寅泰さん、、、? いや、違うな、、、タイトルにあるFでもGでもないし、、、。誰、というのは無いのかも知れません。いやでも何か見たことある感。
「dear. J.K」
えと、、、トム・○ンクス? 違うか。ス○ーピーにこんなキャラいませんでしたっけ?
さっきはF.G、こっちはJ.K、、、単にアルファベットを順に一部取り出しただけだったりして。
「Untitled」
可愛い子ですね。男の子か女の子か、どっちだろう。
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本展覧会のタイトル「Iridescent Memories」は、「玉虫色の記憶」と訳され、福島が人の多様な視点をそう名づけました。心理学辞典には、記憶は、「記銘、保持、想起という三つの段階からなる心的機能」とあり、記銘では私たちの頭に保持できる形に情報を変換させ、その保持された情報を取り出す過程が想起となる。この過程で実際の出来事やイメージは個々の解釈で異なる変換をします。 そう言った「認知でできた上澄みの、きらきらした灯火をもとに」描いたという人物たちは、緑や黄色、赤などで描かれていますが、 具体的な感情を表情から断定することはできず、また大人びた子供のようにも、子供に戻った大人のようにも見えます。しかし、これが福島の描いた「誰か」と私たちの記憶の中にいる「誰か」が交差し、多重のイメージを生んでいます。
(福島淑子 個展「Iridescent Memories」リリース文より抜粋)
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上記のリリース文を読むと、福島さんが描いた「誰か」を正確に当てることは求められていないことが分かります。たとえ皆がよく知っている俳優や芸能人であっても、それぞれの人が記憶の中でストックしている印象は異なるかも知れないですね。興味深い。
「Iridescent Memories」
「Iridescent Memories」(部分拡大)
頭の上に乗せているのは、、、? ツチノコのぬいぐるみでしょうか笑。シュールです。ツチノコも正体がはっきりしない未確認の生き物です。人の記憶が曖昧なことの象徴のようにも思えます。
背景のモザイクも「モザイク処理をする」と言うと解像度を下げて粗いピクセルで対象をぼかすという意味になります。
蝶も、幼虫からの形の変化が著しいことからメタモルフォーゼの象徴とも取れます。
「Iridescent Memories」(部分拡大)
背景のはっきりとした描き方に対し、人物の表情は霞んで見えます。が、その表情の印象は強い。こういう顔をした子に一度は会ったことがありませんか。
リリース文に「大人びた子供のようにも、子供に戻った大人のようにも見えます」とありますが、なるほど、確かに大人の顔のようにも見えます。重役のような貫禄を感じる。
白い花も、実在する花なのかイメージ上の花なのか。
「Friends」
「Friends」(部分拡大)
遠目からだと奇妙な目をしているように見えていたのですが、近くで観るとリアリティのある表情をしていました。ちょっとユーモアもある。「こういう子、いるー」という感じです。
「Friends」(部分拡大)
旧作展にも複数の子供が並んだ「someone's portrait」(2016) という作品がありましたが、そちらと比べると描写はより写実的になっています。ですが受ける印象として「どこかで見たことがある感じ」や夢の中の一場面であるような「少し奇怪な感じ」といった、「はっきりと誰かは分からない曖昧さがありながら記憶に残っているものを掘り出した感じ」が、強くなっているように思いました。
「dear. E.F」
80年代〜90年代の女優さんに見えます。タイトルのE.F、、、これもアルファベット順になってます。
秋の紅葉と燃えるような眼差し、やはり女優さんのように思う。
「ある哲学者の傘」
このタイトルだけちょっと異質な感じがしたので、調べてみました。ニーチェはノートに「私は雨傘を忘れた」と断章を書き込んでいて、それは小文字で始まっていて最後の句点もない不完全なもので、そのことについては様々な考察がなされているようです。
本作品タイトルがこのニーチェの傘のことを指しているかは分かりませんが、仮にそうだとすると、一節からその前後を想像したり、各々が受け取った印象で何かの考察が出来上がっていくところなど、本展のリリースで言われていた記憶の「記銘、保持、想起という三つの段階からなる心的機能」と同じような段階を経て、別々のイメージに分かれていく事例と言えそうです。
「Untitled」
悲しいような怒っているような何も考えていないような、そんな表情です。
「majestic」
「majestic」(部分拡大)
これは剣のような? いや、子供が蛇のおもちゃを持っているようにも見えるかも。何か不思議なフォースを感じる、、、。少し光をまとっていますよね。
「majestic」(部分拡大)
服の描写や背景のグラデーションの細かさと対比するように単純化された顔の表情です。子供は可能性に満ちている存在だからなぁ。画面下から湧き上がってくるエネルギーを上に向けて昇華する、そんな場面のようにも見えます。
いや、子供じゃなくても、これ、大人でも出来るかもなぁ。忘れているだけで。
同時期開催している福島さんの旧作展「Back to the Past Memories」も子供の顔を描いているように思える作品が多くありました。子供のように見えるけれどもどこか大人を描いているような、そんな表情の作品群です。本展の新作も、子供のような大人のような、どちらとも取れる印象を多く持ちました。思えば、何をもって大人ということになったんでしたっけ? その境を自分で振り返って決めても良いし、曖昧なままでも良い気もします。
顔の表情は、子供とか大人とか男性であるとか女性であるとか誰であるとか、そういった表面的な区別を超えて、より直感的に「その人の内面」にアクセス出来る入口です。言葉で正確には言い表せないような複雑な感情に誰しも心当たりがあるために、福島さんの描く人物にぐぅっと惹きつけられ、その深淵を観続けてしまうのではないでしょうか。そしてその時には、他者が持っている表面的な区別の意味を忘れています。
ともすれば個人的に改竄されたものと言える「記憶」を用いて「顔の表情 ≒ 内面にアクセスできる入口」を補完してこれらの作品群を見ているとすると、鑑賞者は「どこかで見たことがある人物」を見ているだけではなく、鑑賞者本人の内面を見ているのかも知れません、自分自身の内面に持つ、他者と深く関わる方法の再確認を行なっているとも言えそうです。
最近、ちゃんと人の表情を見たのはいつだっけ? 言葉だけでは曖昧で、意味が真逆になることでよく話題に上がる「ヤバい」なんてのは、はしゃぎながら言っているのか青ざめて言っているのか、表情と前後関係がなければ正確な意味を取ることが出来ません。表情、大事。
どこかユーモアも感じながら、自分と他人との関わり方まで考えが及んだ展示でした。旧作新作ともに、ぜひ、足を運んでみてください。
展示風景画像:福島淑子 個展「Iridescent Memories」
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