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感想 門倉太久斗/22世紀ジェダイ 個展「完璧な世界」

 

門倉太久斗/22世紀ジェダイ 個展「完璧な世界」

 

会 期:2023年1月13日(金) - 2023年1月29日(日)

時 間:13時-19時

休 廊:月火水

場 所:下北沢アーツ

展覧会URL:

https://shimokitazawaarts.tokyo/takutokadokura_22ndcentryjedi_perfectworld/

 

 


 

SNSのアカウント名「22世紀ジェダイ」でプリキュアのネックレス等の作品が注目を集めた門倉太久斗さんの個展に伺ってきました。

 

門倉さんは武蔵野美術大学造形学部空間デザイン科ファッション専攻卒業、コム デ ギャルソンにてパタンナーとして従事されていたという経歴の持ち主です。

 

在廊されていたご本人にお話を伺うことが出来ました。

(注:本記事の後半は特に、伺ったお話から刺激された私見が大部分を占めますので、必ずしもご本人の公式見解ではないことをあらかじめ申し上げておきます。本サイトは「感想」をメインに構成しています)。

 



 

立体作品は身につけられるようになっていて、希望があれば着用し写真を撮ることも出来ます。

 

 

例えば、下の画像の作品はネックレスになっています。

 

ジェダイさん (アクセサリー等の制作名義は22世紀ジェダイさんで、略称はジェダイさん) ご本人による着用の様子。顔出しはNGとのことなのでトリミングさせていただきました。

ファッションも素敵です。

 

部分拡大。

頭蓋骨の口からプリキュアたちが出ています。私はプリキュアに関して全くの無知なんですが、検索によるとこちらはヒーリングっど♥プリキュア!のキャラクターのようです。

 

別角度より撮影。

口から出てくる人物、というモチーフは「空也上人像」から由来していて、「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると6体の阿弥陀如来の姿に変わった、という伝承から、こちらは「LOVE」と発した時にアルファベット4字が4体のプリキュアの姿に変わった様子が表現されています。


 

 

こちらの作品はカチューシャになっています。

 

別角度より撮影。

中央部分に濃いピンクのカチューシャが見えます。カチューシャ用の台もカッコイイので一つのオブジェのように見えますが、カチューシャと台部分に分離されるものです。そうは見えないすごい安定感です。

 

部分拡大。

立体作品の組み方においては、真似しようとしても出来ない、ジェダイさんの技術と特徴が現れたものになっています。カワイイ、で留まらず、カッコイイという領域に突き抜けている感じです。


 

 

こちらの作品は装着するとベールの中の世界でプリキュアと対峙出来るという、没入装置のような形をしています。

 

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アーティスト・ステイトメント

(毛布の中には完璧な世界ができており、私が世界の蓋として眠っているので起きるわけにはいかないのです。)

朝起きた瞬間にそう思ったわたしは目覚ましを止め、また深い眠りにもどるのでした。

 

わたしが世界の蓋として

これと同じように、皆さんがある程度ゆるゆる生き続けるためには、それほど上手くもない絵を描き続けるしか無いのです。

私が昼も夜も怒り、懸命に描き続けることによって「完璧な世界/perfect world」が保たれているというわけです。

 

 

(下北沢アーツ Exhibition 門倉太久斗/22世紀ジェダイ「完璧な世界」より抜粋)

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SNSで確認出来る画像では、門倉さんが制作する絵画作品とジェダイさん名義のアクセサリー作品との間には、世界観の隔たりがあるように感じていました。しかし、実際の展示を観ると何の違和感も感じずに一つの表現世界となっていたことに驚かされました。

 

 

 

世界観という概念的なものの統一感ももちろんあるのですが、その形態にも共通点があるのが分かります。

 

それは、「どこか一つの出入り口のような部分があり、そこから放射状に広がるような形」です (線遠近法の消失点とは違います)。

 

この形状は、まるで、先程引用したアーティスト・ステイトメントにあった「世界の蓋」が出入り口となって、何かが溢れ出してくるようなイメージと繋がりました。「異界」から溢れ出てくるものです。

 

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門倉は、ファッション業界の年2回のファッション・ショーを、ものよってはそれが美しいのかどうかよくわからない服を特別な体をもった人達が練り歩きそれを大勢の人が見にやってくる"百鬼夜行"のようで、"日常を脅かす重要な行事"と捉えています。

花瓶もそれと似た役割を持ち、そこに生けられた花は花瓶を通じて異界から花がやってきたように見えるのだそう。

 

(下北沢アーツ Exhibition 門倉太久斗/22世紀ジェダイ「完璧な世界」より抜粋)

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上記で語られているように、門倉さんは「ファッション・ショー」を百鬼夜行、あるいは、なまはげといった「来訪神」の行事のようだと感じているそうです。年2回という限られた、かつ、決まった時期に行われ、スタイルの突出したモデルが、日常では着ないような特殊な装いを纏って練り歩く、という行事。なるほど、そう言われてみれば、モデルの歩き方も来訪神の特殊な所作として捉えることも出来そうです。そしてもしそのショーを目の当たりにしたら、華やかな世界への憧れという感情よりも、畏怖の念を抱くような迫力を感じるのではないか、と想像も出来ます。

 

 

左:「ランウェイ/Runway」 右:「ランウェイ/Runway」

 

 

では「異界」とはどのような場所なのか?

 

 

 

「理想鉢/Ideal pot」

 

「理想鉢/Ideal pot」


 

「ペニスフラワー/penis flower」

 

こちらの「ペニスフラワー」という作品は「花は女性器に例えられがち」という話を逆手に取ったような、男性器をかたどった花の絵です。

 

2022年4月にRitsuki Fujisaki Galleryで開催された、山本れいらさんの個展「Who said it was simple?」では、過去に美術の商業的成功のためにジョージア・オキーフ (Georgia O’Keeffe) の花の作品が作家本人の意図とは異なり女性器のメタファーとして扱われたことが取り上げられていました。

 

冷静に考えると、花にはおしべという部分があったりなど、十分に男性器的なものも連想出来そうですよね。チューリップなんかはどうも女性というよりは男性的なような?

 

門倉さんの作品からも何か「ジェンダー」というテーマを感じるな、と思っていると、ご本人から「男性であることの罪悪感」というパワーワードが発せられました。

 

現代では「男性であることの罪悪感」を感じている男性は多い。女性よりも優遇されてきたところはあると思う、と。

 

それを聞いた時、「ああ、今の世の中、やっちまってるなー」と思いました。何をやっちまっているのか? ジェンダーの問題を解決するはずがかえって根深くしている、のです。正確には、「女性の置かれている立場と比べると男性は優遇されている」という考えだけが「男性であることの罪悪感」の根源ではないと思うのですが、ちょっと脱線してジェンダーに対する私の考えを述べたいと思います。

 

巷で話題になりがちなフェミニズムという言葉に関しては、そもそも「女性解放」という意味であって、「男女平等」という言い方だと誤解を招きます。

 

例えば、2018年に問題になった「東京医科大(東京・新宿)が医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていた」ことで言うと、女性は不当に自分の採った点数を減らされていたわけで、それは理解出来ないし、90点採っていたのに80点にされていたなら、ちゃんとありのままの90点で評価してください、ということです。何も、90点だったのを「女性」ということで100点に上方修正してください、とは言ってないのです。ここに男子受験者側の過失ってあるのでしょうか? 確かに件の「東京医科大」のケースでは「1次試験を通った現役の男子学生に、自動的に2次試験の小論文の点数を加点したこともある」ということが報道されているので、ややこしくなっていますが、もし、100点を採った男子受験者が100点で評価されているなら何も負い目はないわけです。2次試験の加点も本人の預かり知らぬところで行われており、そして何よりも責められるべきは、そういう「点数操作を行なった側」であり、その人は男性なのか女性なのか分かりません。不正に点数をいじられた方は減点であれ加点であれ、男性であれ女性であれ被害者です。

 

女性よりも社会に優遇されていることへの罪悪感を男性が感じているのであれば、今の風潮は「ジェンダー」の問題に悩む被害者を増やしてしまっています。ジェンダーは生物学的な性別ではない「社会的・文化的につくられる性別」です。「男だから」、優遇されているんだから、申し訳ない、と感じている人が増えているようでは、問題がより広がってしまっています。例えば考えたくないですが「生物学的な差異」がものを言う場面、戦争というようなことになれば、生物学的に体力のある男性のほうが女性よりも確実に駆り出されるわけです。そういう現実を踏まえても、ここで、先の「90点を80点にされた女性」は罪悪感を感じる必要はないし自分の権利を主張する声を緩めてはいけないと思います。全く別の問題だからです。ううむ、どこかで、被害者同士の男性、女性が連携せずに分断する方向に持っていっている悪いやつがいるんじゃなかろうか (陰謀論) 。

 

 

なんでこんな話を長々としたかというと、「ジェンダーによる罪悪感」ということが作品に大きく関わっているように思えたからです。

 

 

「サンクチュアリ/Sanctuary」

 

これは本当に私個人の感想ですが、この「サンクチュアリ/Sanctuary」という作品は、パブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を想起させます。

 

「アヴィニョンの娘たち」はキュビズムの発端となった作品であるとか、様々な美術史的意味が言われていますが、私が一番興味深いなと思うのは、あの、女性遍歴で有名なピカソには、女性に対して恐怖を感じた原体験があったかも知れず、そのトラウマを克服すべく描いた作品なのではないか? と思えるような絵であることです。いや、あの作品の娼婦5人の視線は、、、怖いですよね、、、。あの絵を思い浮かべて、その世界に入っていくと、私は生物学的には女性なんですが、とたんに中学生ぐらいの少年になってしまって、どうしていいのか分からないような恐怖心に駆られます。男性にとって女性とは怖いものなんだな、という疑似体験が出来る絵なのです。絵画が負の感情の克服作用を持つことは、大いにあり得ることと思っています。

 

そしてこの「サンクチュアリ/Sanctuary」の絵の世界に入っていくと、、、この5人 (人?) の視線から感じるのは、やっぱり「罪悪感」です。「あなたはここから先には入れないですよ」と言われているような気がします。「男性である」とか「女性である」とかそういうことに縛られているあなたからサンクチュアリを守っています、と。

 

「サンクチュアリ/Sanctuary」(部分拡大)

「サンクチュアリ/Sanctuary」の生物には性器が描かれていません。これは門倉さんによれば「特に意味はない」というお話だったので、この作品の解釈は完全に私見です。私にはどうも、ここの住人に性器がないことが大きな意味を持っているように感じられました。

 

「サンクチュアリ/Sanctuary」(部分拡大)

背景の絵の中に男性器がありますが、自律したもののように存在しています。


 

 

「異界」とはこの「男性である」とか「女性である」とかに縛られない世界で、そこから花瓶を通して自律した男性器の花 (時にその花は女性器でもある) が、こちらの世界にやってきている。

 

2022年4月にTAKU SOMETANI GALLERYで開催された、みょうじなまえさんの個展「Some Fairy Tales」の感想で私は「会場の外に向けて飾られているチューリップが、チューリップ以上の意味を持たないように」なればいいな、ということを書きましたが、本展を鑑賞すると、自律した存在として身体から切り離された性器という異界からきた花、というのも良いものだな、と思いました。

 

 

そして門倉さんが描く花は、花以外の何か別の意味を暗に示さないような、純粋な美しさと強さに満ちているようにも見えます。

 

 

「11月の鉢/Pot of November」

 

「理想鉢/Ideal pot」

 

左:「理想鉢/Ideal pot」 右:「無題/Untitled」

 

左:「理想鉢/Ideal pot」 中央:「文鳥人間/A sparrow human」 右:「理想鉢/Ideal pot」

 

 

また、男性が追い求めていた「速さ」を代表するような題材の作品もありました。

 

 

「フェラーリ/Ferrari」

より速く、ということを実現することで男性が負っていた義務を果たしていた側面が、インターネットの登場により、速さの問題が社会に寄与するものではなく娯楽になってしまった感があり、そのようなことも「男性であることの罪悪感」を感じさせている一因と言えます。


 

 

「完璧な世界」を保つとはどういうことなのか。プリキュア・アクセサリーを身につけると身体の内側が「異界」となってどこかの蓋から中が溢れ出したように見えるのも、サンクチュアリと繋がる手段の一つと言えるのかも知れません。「カワイイ、で留まらず、カッコイイという領域に突き抜けている」と私が感じたのは、カワイイ=女性性、カッコイイ=男性性と記号づけられるものだとするならば、どっちがどう突き抜けるかというものでもなく、混ざり合い、カッコカワイイものとして存在しているからなのかも。

 

 

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様々な活動を通じて一番表現したいことは「自由」だという門倉。プリキュア・ネックレスも「自由を確保するために身につけるもの」だそう。

そんな門倉の独自の表現を見た人もきっと今より少しだけ「自由」を感じることができるのだと思います。

 

(下北沢アーツ Exhibition 門倉太久斗/22世紀ジェダイ「完璧な世界」より抜粋)

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様々な表現方法を用いているにも関わらず統一感を感じさせるという「芯」が確立している門倉さん。その作品を通して、現代に生きる個人が抱える問題が提示されるような展覧会だと思いました。

 

「完璧な世界」を保つことについて、考えを巡らすきっかけになるかも知れません。ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

 

 

展示風景画像:門倉太久斗/22世紀ジェダイ「完璧な世界」


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