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感想 鈴木操 個展「fortunes」

 

鈴木操 個展「fortunes」

 

会 期:2023年8月25日(金) - 2023年9月10日(日)

時 間:13:00~20:00

休 廊:月火

場 所:TAV GALLERY

協 力:モースト・リスキー合同会社

展覧会URL:

https://tavgallery.com/fortunes/

 


 

西麻布にあるTAV GALLERYで鈴木操さんの個展「fortunes」を観てきました。

 

TAV GALLERYは阿佐ヶ谷から2022年4月に今の西麻布の場所に移転しています。表参道駅からも六本木駅からも「ちょっと遠い」位置にあり、そこもすごく良いなと勝手に思っています。表参道のハイブランドや話題の美容室が建ち並ぶエリアはまるで「インフルエンサー」文化の象徴、また、六本木は美術館も多く、来年2024年春には麻布台ヒルズにメガギャラリーのペースの東京拠点が出来る、ということで、「権威」といったら言い過ぎかもしれませんが、そういう「すでに上に上がりきったもの」の象徴のようで (主観を大いに含みます)、 そこから距離をとりつつも射程圏内にはある、みたいなことを勝手に感じ取っています。TAV GALLERYに向かう時に街行く人を見ていると、どうしてもそういうことが頭をよぎってしまうんだよなぁ、、、。

 

 

そんなTAV GALLERYで2回目の個展となる (2015年のロケーションは阿佐ヶ谷なので西麻布移転後のTAV GALLERYでの個展は初) 鈴木操さんは1986年生まれ、文化服装学院卒業。漆喰を用いた作品を発表しています。個展だけでなく、2016年「私戦と風景」(原爆の図丸木美術館) 出展作家、2017年「自営と共在」(BARRAK 大道) 出展作家、2020年 「荒れ地のアレロパシー 5人のキュレーターによる現代美術展覧会」キュレーター・出展作家、2022年「日比谷OKUROJIアートフェア2022」(日比谷OKUROJI、会場協力 : 株式会社ジェイアール東日本都市開発) 出展作家と、グループ展・企画展にも多数参加。また、ユニセックスブランドBALMUNG と2021年秋冬、2022年春夏シーズンでコラボレーションを行うなど、幅広く活動しています。

 

↓画像引用元:FASHION PRESS バルムング 2021-22年秋冬コレクション - 解体と再構築、未知なるものへの挑戦

ダンボールが置かれた会場では、モデルが中身を取り出しダンボールと融合させるパフォーマンスが行われました。


本展で閲覧可能な作品アーカイブファイルより。


 

 

 

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石灰と書いて「せっかい」と読むのは漢音で、これを唐音 では「しっくい」のように読んだらしく、漆喰という表記は、その当て字だという。調湿性をもち、環境条件に応じて水分を吸収したり放出したりする漆喰は「呼吸する」と言われ、その原料である煆焼した石灰岩が「生石灰」とも呼ばれるように、石灰ないし漆喰という材質は「生命」と結びつけられてきた。

 

(テキスト:飯盛希 TAV GALLERY 鈴木操 個展「fortunes」[ 8/25 (Fri) – 9/10 (Sun) ] より抜粋)

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漆喰は石灰の唐音の当て字だったんですね! 漆喰の壁が「呼吸する壁」として見直されているというのも聞いたことがあります。言われてみれば、生石灰に水を加えると熱を発する、という激しめの化学反応も、どこか「生命」を感じます。

 

本展ではそんな「生きている」かのような漆喰と風船が組み合わさった「Deorganic Indication」シリーズが中心に展示されており、鑑賞中に「風船が割れることがある」という前情報をゲットしておりました。

心臓の弱い方に注意喚起。


 

 

 

ややドキドキしつつ、会場へ。

 

TAV GALLERYのドアを開けると初めに目に入るのがこちらです。風船、けっこう割れてますね。むむ、、なんか、、アダルトな雰囲気を感じてしまう、、、私だけ !?


 

 

 

「odradek doughnut」

この作品タイトルにある「odradek」はフランツ・カフカの「家父のきがかり」(または「家長の心配」)という短編小説に出てくる謎の生命体オドラデクのことかと思われます。

 

謎の生命体は謎のままありのままに受け止めるのが良い、と思いつつ先ほどのアダルトな雰囲気は少し落ち着いた、、、と安心したのも束の間↓


 

 

 

「Deorganic Indication」

わーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

おっぱ○に見える。縛られたおっ○い。え? こんなことを思うのは私だけなのか?

Xに投稿されている感想等を見ると、エイリアンの卵 (確かに!) とか、海洋生物に例える人もいたり、、、みんな偉い。

 

(会場でお会いすることが出来た鈴木さんに「過激な感想書いても良いですか」と訊いたら快くOKいただいたので、思い切って書いてます。真面目な感想も後半にちゃんとあるので、ここで読むのを辞めないでーーー)。

 

「Deorganic Indication」(別角度より撮影)

うむー。

 

「Deorganic Indication」(部分拡大)と会場の一部

ゴム素材の風船の残骸をわざと残しているのは、ギャラリー側の演出としても、アダルトな雰囲気を感じてOKってことで良いのかな?


 

 


「Deorganic Indication」

うわーーーーーーーーーーーーーーーーー

もみしだかれた○っぱい!とても良い角度!

 

 

 

左:「Deorganic Indication」右:「Deorganic Indication」

うむー。

もう、おっ○○にしか見えない目になっていないか、私。

 

 

 

左:「Deorganic Indication」右:「Deorganic Indication」

この暗い色の「Deorganic Indication」は少し違って、冨樫義博が描いた魔界の木、を思い浮かべました。

 

©冨樫義博

、、、あれ、よりいかがわしい例えでは?


 

たまたま、風船の膨らみ具合がちょうど「○っ○○風」に見える時に伺ったんだな、と思います。

 

 

 

でも、この得体の知れない未知のもの、と、人間の生殖に関わる部分との結びつきは、「生命」として捉えられてきた漆喰と重なります。「生命」を不必要に美化せず、生々しくて説得力があります。

 

そして、割れる風船により、永久に同じ形ではない、というのも「生きている」ものとして、立体作品の新しい可能性を提示している。

 

本展の特徴として、ほぼ台座がない、というのが挙げられますが、私が初めに観た「odradek doughnut」は唯一、台に載っていて、そうするとどこか崇高な趣きを勝手にこちらが感じとり「ほう、この角度のこのラインが素晴らしい」とか、そういう目で観てしまいます。その鑑賞法も悪くないと思いますが、どこかに、観る者と作品の間に見えない境を感じるのです (台座は舞台だ、と言われればそうかもしれない) 。

 

 

 

「odradek doughnut」

こんな風に、作品を画面に収める構図とか考えてしまって背景の余白を多めにした写真を撮るわけです。作品の周りにはゴム風船の残骸もない。

 

 

 

しかし、床に直置きされた「Deorganic Indication」シリーズは、鑑賞者が周囲を歩くことで風船が割れること以外にも、横から観ようとするならばしゃがんだり中腰になったりしなければならず、作品と鑑賞者が同じ床、文字通り同じレベルにいることに、嫌でも意識的になります。

割れるとこのような形が現れます。風船がないとどこか寂しそう。そう思うと、風船ありのほうは、漆喰部分が、何か生命維持において必須なものをしっかりと抱きしめているようにも見えてきます。

ふくらましたばかりの風船は透明です。風船の性質上、時間とともに白濁するので、どれが長い間割れてないか分かります。年齢のようで、これも「生命」を思わせます。


 

 

 

鑑賞者が周囲を歩くことで風船が割れることについては、作者の鈴木さんはアンソニー・カロの作品を鑑賞した時に偶然起きたエピソードを挙げています。


ちょうど昨年と今年春に、マイケル・フリードの『Another Light』と「Art and Objecthood」の講義をPARAで受講していたので、おお、フリードは本当にカロ推しなんだよな、などと思い出したりしました。

 

鈴木さんは演劇性のことに言及していますが (フリードの著書には上述の他に『没入と演劇性 : ディドロの時代の絵画と観者』があります) 、一旦そこは置いておいて「Art and Objecthood」(芸術と客体性) の中で、フリードがミニマリズム (リテラリズム) を批判し、反対にアンソニー・カロを支持していることを挙げようと思います。

 

フリードが批判しているリテラリズムは、平たく言うとただ四角が並んでいるだけ、というような作品、まさにもの (object) そのものを芸術とするような作品で、それを、観る者の個人的な経験ありきで成立する作品、観る者が空間内に取り込まれてはじめて成立する作品、として、演劇空間になぞらえ批判していました (細かい話をすると「演劇性」自体を批判しているわけではなく、そこに無自覚なことを批判しています) 。

 

観る者を取り込む空間を否定している、と捉えてしまうと、まるで本展の「鑑賞者が歩くと風船が割れることがある」というような「観る者が空間内にいることで成立する」状況も演劇的であり、フリード的には「芸術ではない」のか? となりそうですが、この場合は全く違う、と言えます。

 

フリードが批判したリテラリズム作品は、それ自体に自律性が認められません。ただの四角、ただのもの。観る者が個人的にそこから何かを経験することを求めているのであり、観る者がいないと作品になりません。違う言い方をすると、「自律性がない作品」というのは作品自らの力で「ただのもの (object) であることから脱することが出来ない」のです。逆に、アンソニー・カロの作品は、それがドアのような動きをするかのようであったり、椅子のようであったり、一つのパーツは別のパーツに呼応していて、ただのものを並べたわけではないことが読み取れます。カロの作品には「ただの object である、と見られることに抵抗する」という自律性があるのです。

 

本展の鈴木さんの作品は、前述のとおり、ただのものとは誰も受け取りません。そこには、風船が主体か漆喰が主体かも不明な、絶妙な形の「得体の知れない生命体」、エイリアン、海洋生物、がいるのであり、たとえ各々の鑑賞者が持つ印象が新しい風船により変わってしまうとしても、いや、変わった後にもなお「ただのもの」ではない何かとして捉えられることこそ、作品自体が「object として見られることから脱している」という十分な自律性を備えています。

 

そのように自律性を持つ作品が、鑑賞者の行動、あるいはその日の温度、湿度、風船を膨らませた人の加減具合、などの外的要素によって変化することで、演劇性は芸術として成就するのだと思います。

 

フリードが「演劇性自体を批判しているのではない」と言っている意味が、実はよく分かっていませんでしたが、なるほどこういうことか、と本展を鑑賞して思いました。

 

そして、割れる風船の音によっては心臓までもがおびやかされるという「作品からの働きかけ」が、通常の、台座に置かれて鑑賞者が一方的に観察出来る立体作品とは一線を画しているのは言うまでもないです。このような直置きという仕掛けがあって初めて、鑑賞者は自分ごととして作品を捉え、あらゆる感覚を用いて味わうことが可能になるのかもしれない。本展の作品がすべて台座の上に置かれ、ましてやケースで囲まれて、さらに風船部分は割れない素材で製作されていたとしたら、多くの人の感想は全く違うものになっていたのではないでしょうか。

 

 

 

「分裂するヒル、私の手」

おや、何か明るい雰囲気の抽象作品かと思ったら、、、

 

「分裂するヒル、私の手」(部分拡大)

遠目にはお花模様🌸のように見えたものは、実は指先でした、、、。今まで観てきた「Deorganic Indication」シリーズの漆喰の部分を成形するような、ねっとりとした指の動きを感じて、急に「うわぁ」っとなります。

タイトルから、ヒルの動きが想起される、、、。


 

 

 

偶然ですが、鈴木操さんと可愛いキッズと居合わせることが出来、小さい子を見ながら、思えば人間の生殖も様々な要素が重なって成せることだよなぁと考えてしまいました。学生時代に何の気なしに手に取った『アメリカ幻想小説傑作集』という短編集の中にジョン・バース著「夜の海の旅」というのがあって、すごく記憶に残っています。

 

ーーー以下、「夜の海の旅」のネタバレですーーー

 

主人公の「ぼく」とその仲間はどうやら夜の海でスタートがかかれば強制的に泳ぎ始めなければならず、彼岸を目指し、いるかいないかもわからない彼女の元へととにかく泳がなければならない、というストーリーです。勘の良い方はここでもう何が書かれているか、分かるかもしれません。遠泳の途中、それはもう何億もの仲間が死んでいき、最終的に「ぼく」は自分がどうやら選ばれた一人であることを自覚し、これまたどうやらそこに居合わせることができた幸運な彼女と融合していく中で「もうこんなことはやめるんだ、生むな、増やすな」と言っている、、、という、受精時の精子目線の小説でした。そうやって考えると、生まれし者、皆、何億分の一の選ばれし精子であり、たまたま居合わせたラッキーな卵子であるわけで、すごいことだよなぁと。

 

ーーーネタバレ 了ーーー

 

 

 

 

 

本展のタイトルは「fortunes」です。

 

風船は割れるか、割れないか、鑑賞時の形状はどうなっているのか、割れるのが運が良いのか、割れないのが運が良いのか、どういう形を鑑賞出来れば運が良いと思うのか、自分の行動が、世界と相互にどう作用していくのか。運試しにぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

 

 

展示風景画像:鈴木操 個展「fortunes」TAV GALLERY, 2023


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