小松敏宏 個展『空間概念:透視2022.9.3』
会 期:2023年9月3日(日) - 2023年10月14日(土)
時 間:水ー金曜 13:00~18:00 土曜 13:00-19:00
休 廊:日月火祝
場 所:KANA KAWANISHI GALLERY
展覧会URL:
https://www.kanakawanishi.com/exhibition-043-toshihiro-komatsu-2023
友人とデイヴィッド・ホックニー展を観に東京都現代美術館に行くことになり、せっかくならギャラリーにも行こうと思って調べていたら、KANA KAWANISHI GALLERYさんでとても興味深い展示があり、伺ってきました。
小松敏宏さんは1966年生まれ。京都精華大学教授。東京藝術大学大学院美術研究科修了、マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院建築学部修了。アムステルダム・ライクスアカデミーやニューヨークでの滞在制作を経て、『Special Projects Fall 1999』(1999年、MoMA PS1、アメリカ・ニューヨーク)、『クイーンズフォーカス03:隣接する空間』(2000-2001年、クイーンズ美術館、アメリカ・ニューヨーク)、『TOSHIHIRO KOMATSU』(2009年、ウィンブルドン芸術大学ギャラリー、イギリス・ロンドン) といった海外での個展開催、越後妻有アートトリエンナーレ(2012/2015)、瀬戸内国際芸術祭 (2013) といった芸術祭での出展等、国内外で精力的に作品を発表しています。
小松さんは、サイトスペシフィック (サイト = 場所、スペシフィック = 特定の、固有の) なインスタレーションやパビリオンといった建築的な要素を感じさせる作品と同時に写真作品を制作しています。内側と外側の境界、建物と人間の関係、自分が存在している場所、ということを考えさせられるような作品群です。
以下の画像4枚は展示スペースにあるアーカイブファイルを撮影したものです。
「Snow Room」(2012) 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012
水の入った3069個のガラスの容器で囲いが作られています。この中の水というのは、トリエンナーレの会場である新潟県十日町市の雪が溶けたものだそうです。トリエンナーレの期間は2012年の7月29日 - 9月17日という夏の時期なので、その年の雪を前もって詰めていたということです。
新潟県など雪の多い地域では、降雪や屋根からの落雪を貯雪槽の中に蓄え、融雪水を住宅の冷房や生活用水として利用する利雪という仕組みがあります。遡ると、江戸時代にはすでに特産物の小千谷縮 (おぢやちぢみ) を雪でさらす行程があったり等、雪とともに生活してきた人々の歴史がこの作品「Snow Room」から感じられます。
「ジャパニーズ・ハウス 須山家」(1997)
「ジャパニーズ・ハウス 岡本家」(1997)
この「ジャパニーズ・ハウス」のシリーズを観て「あー、家って住む人の顔に見えることがある!」と、共感しました。
本展『空間概念:透視2022.9.3』では 1年前の2022年9月3日に撮影した会場の KANA KAWANISHI GALLERY の写真作品が並んでいます。実際の2023年の9月3日 (本展示の会期初日) という空間で 1年前の様子が映された写真を観ると、どうしても時間の経過を意識してしまいます。
会場に入ると、まず壁一面のインスタレーションに釘付けになります。
ステートメントにもルチオ・フォンタナへの言及がありましたが、フォンタナの切り裂かれたキャンバスの作品「空間概念 期待」を想起させるような斜めの形に画像が貼られたインスタレーションです。
以下画像は、世界現代美術作家情報サイト ルチオ・フォンタナ より
ルチオ・フォンタナの「空間概念 期待」にはあらかじめ黒い紗が貼ってあって、切り裂いたところから黒い紗を見せている = 黒い切り裂き部分を描画している、ということが言える作品でした。
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「絵の向こうには壁があるだけだ」と言ったのはピカソである。フォンタナの「穴」のシリーズはキャンバスをくり抜いた穴から壁を実際に覗き見せ、絵の周囲の空間を絵の内部に召喚した。しかしフォンタナの「スラッシュ」シリーズの画布の裏には黒い紗が貼られていて、切り裂いた画布から向こうの壁を見ることができない。ピカソがトロンプ・ルイユを否定したのに対して、フォンタナの「スラッシュ」はそれを利用して黒い切り裂きを描いたようにも見える錯視を利用した作品である。
アーティストステートメント 小松敏宏
(KANA KAWANISHI GALLERY 小松敏宏 個展『空間概念:透視2022.9.3』より 抜粋)
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そして、本展での小松さんのインスタレーション「『空間概念:透視2022.9.3』」が見せているものは、実際の建物、すなわち、KANA KAWANISHI GALLERY のお隣に実在する建物です。
消化器が見えます。
本当に透視しているみたいに感じられますね。
、、、しかもこれが 1年前の画像、ということなので、その間のことを考えさせられるというか、「空間を透視している」かつ「時間を可視化している」と言う風に感じられます。
「CT009551 (KKG)」
「CT006461 (KKG)」
「CT006461 (KKG)」(部分拡大)
うっかり「壁を透視した部分と外の日差しが組み合わさってキレイー」と違和感なく受け取ってしまいますが、実際の会場と見比べればすぐ分かるように KANA KAWANISHI GALLERY のドアにこのような穴はありません。その奥に見える通行人も「透視」していることになります。
「CT009721 (KKG)」
インスタレーションが額のアクリル板に反射しているせいで複層になっているのも「透視」しているようで面白いです。
額の中にある「1年前の写真」だけでなくて、この会場全体の「2023年の現在」を合わせて鑑賞することがこの展示では意図されていると思うので、映り込みも合わせて色々な角度から観ても面白いかも。
「CT 008351 (KKG)」
この画像もかなりインスタレーション部分が映り込んでいますが、実際の作品はぜひ会場でご確認ください。
左:「CT011972 (KKG)」 右:「CT013241 (KKG)」
左:「CT011972 (KKG)」 右:「CT013241 (KKG)」
「CT011972 (KKG)」の、まるでPLAYボタンのような三角形状に並んだ穴の表現は2022年の4月 - 5月に西麻布のKANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY での個展『ミザナビーム|Mise en Abyme』でも見られた表現です。
ミザナビームとは、「底知れぬ深みに置くこと=入れ子状態に置くこと」という状態を意味するフランス語だそうです (小松敏宏 個展『ミザナビーム|Mise en Abyme』より) 。
視界を遮る壁や障害物を「取っ払って」見せているようだけれども、本展の趣旨のように「時間」といった「新たな層が加わっている」、「多層的に見える」、というところが面白いと思いました。
「CT008031 (KKG)」
この画像の右側にもかなりインスタレーションの映り込みが入ってしまっているのですが、なんとなく良い感じに。
「CT008031 (KKG)」(部分拡大)
行き交っている人も「透視」されています。奥の高層マンションが扉の枠を境に微妙に色味が変わって見えるところなど、同じ日 (2022年9月3日) の中でも陽の当たり方の違い、時間の経過を感じます。
左:「PAINTING (CT016071)」 右:「PAINTING (CT016061)」
おや、、、このペインティングは、、、?
こちらの隣に、同じ作品を撮った写真の作品があります。
「CT016071_PAINTING」
「CT016061_PAINTING」
お?同じ作品、、、?
こちらも「透視」していて、白い線に見える部分は壁です。
「CT016071_PAINTING」(部分拡大)
「CT016061_PAINTING」
ネジが見えています。
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新作であるCT (PAINTING) は、キャンバスに油彩というフォーマルなモノクロームペインティングをベースにしたCT作品である。絵の向こうにある壁やネジ (金具) を写真により透視して見せることで、絵の周囲の空間を絵の内部に召喚し、目に見える世界だけでなくその先にある奥を見通す。
アーティストステートメント 小松敏宏
(KANA KAWANISHI GALLERY 小松敏宏 個展『空間概念:透視2022.9.3』より 抜粋)
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小松さんの写真作品 CTシリーズの「CT」とは、病院等でよく聞くCTスキャンのCTです。Computed Tomography = コンピュータ断層撮影 の略称で、放射線などを利用して物体の内部構造を画像として構成する技術やその機器のことを言います。
CT (PAINTING) のシリーズは、作品の影で本来見えない壁や展示に必要なネジが「見える」ことで、作品自体がもっている厚みや空間に意識が向かってしまいます。私は、ルチオ・フォンタナの「空間概念 期待」の切り裂かれたキャンバスを見ると、「平面」として認識していたキャンバスを「立体」として認識してしまうのですが、ちょうど同じようにCT (PAINTING) のシリーズを鑑賞していました。
そして、先に紹介した本展のインスタレーション『空間概念:透視2022.9.3』も、普段はただの真っ白な壁という、作品に干渉しない白い平面としてしか認識しないギャラリーの白壁が、斜めに切り裂かれ隣の建物が見えているように知覚されることで個々のギャラリーが持つ特異性に意識が向きます。
ここは、清澄白河駅から徒歩10分ほどの位置にあり、東京都現代美術館の近くにあり、陽の当たり方はこうである、というような。
本展の会期中に近くの東京都現代美術館で開催されている「デイヴィッド・ホックニー展」では、時間と空間は「同じものの異なる側面」であることから発展したフォト・コラージュの作品「龍安寺の石庭を歩く1983年2月、京都」(1983) も展示されていました。
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絵画は時間、そして空間の芸術だ。私には少なくともそのように見える。
(中略)
しかし写真はすべてをいちどきに見てしまう。ひとつの視点からレンズを一度瞬かせるだけだが、私たちはそうではない。私たちがものに目を向けて、それが空間を構成する様子を見るには時間がかかる。それは間違いない。
(デイヴィッド・ホックニー & マーティン・ゲイフォード『絵画の歴史 洞窟へ壁画からiPadまで 〈増補普及版〉』 2020年青幻舎 p83より抜粋)
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「龍安寺の石庭を歩く1983年2月、京都」では、龍安寺の石庭をいちどきに撮影するのではなく、周囲を歩いて時間をかけて数枚の写真を撮影し組み合わせることで、カメラではなく、人の目を通して見た時と同じように認識出来る石庭の姿を表現していました。
また、ホックニー展の冒頭、第1章は「春が来ることを忘れないで」というタイトルになっており、これはコロナ禍の2020年3月にネットで鮮やかなスイセンの作品を公開した時の、ホックニーによるメッセージから採られています。
本展の小松さんの『空間概念:透視2022.9.3』に話を戻すと、1年前の2022年9月3日は、新型コロナウイルス感染症は5類ではなく、緊急事態宣言は出されなかったものの「第7波」という感染の猛威に見舞われていました。2020年3月以来、私たちは、1年という月日の長さ、変化の大きさを強く感じてきたと言えるかもしれません。
奇しくも、とても近い場所で開催された展覧会に、コロナ禍からの時間の経過や、時間と空間、ということに意識的になる展示という繋がりを感じてしまいました。その意味でも、ギャラリーが抽象的なホワイト・キューブではなく「ここにある建物」と表現されていることが印象深い。
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「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」(えどをしょうしてとうきょうとなすのしょうしょ) によれば、1868年9月3日は江戸を東京と呼ぶことが決まった日である。それから154年後の2022年9月3日、私は東京の清澄白河でコロナ感染症が拡まって3年目の夏の日の光景を、ホワイトキューブを透視するように連続してシャッターを切った。そして更に1年後の2023年9月、1年前の此処ギャラリーの光景が透視インスタレーションとCT (KKG) によって呼び起こされる。果たして1年という時間の経過は、現実と写真を見比べることにより可視化されるのか。
アーティストステートメント 小松敏宏
(KANA KAWANISHI GALLERY 小松敏宏 個展『空間概念:透視2022.9.3』より 抜粋)
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155年前の江戸の人は、東京という呼び名をどう受け止めたのだろう、、、?
名称が変わると何かが変わるのか。「言霊」という概念があるように、何かは確実に変わる気がします。江戸から東京、2類から5類、2022年から2023年、、、目に見えないものが本展には展示されている、と言えるかもしれません。
「絵画は時間、そして空間の芸術だ。」というホックニーの言葉を借りれば、これは写真作品ではなく、1年という空間把握を可能にする絵画、なのかもしれません。そして、ギャラリーの内側から外側を透視することで、逆にCTスキャンのように内部を明らかにし、ギャラリーが内包する特異性を炙り出している。
作品としてかっこいいし、体験して色々考えさせられるし、2倍楽しめる展覧会だと思います。ぜひ、足を運んでみてください。
展示風景画像:小松敏宏 個展『空間概念:透視2022.9.3』KANA KAWANISHI GALLERY, 2023
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