新しく作品を迎えた⭕️
「購入した」と書いても問題ないのだが、美術作品に関しては「次世代へ渡す」と言うか、一時的に自分のところで「預かっている」という感覚があり、「迎える」という言い回しが現時点で一番良さそうなので、そう書いている。
もっと良い表現があったらぜひ教えてください。
迎えた作品はヘルミッペさんの《ブーケ》
サムホールというキャンバスサイズの木枠3枚に、網戸のようなメッシュが張られている。その網の目に沿って描画されており、まるでピクセルのようだ。
ピクセルをテーマに制作しているヘルミッペさんの特徴が現れている。
→参考感想記事:感想 ヘルミッペ 個展「Mix Cell」
木枠3枚はキャンバスクリップで留められている (下の画像参照) 。
※キャンバスクリップとは、油絵の具が乾いてない描き途中の作品を運んだりする際に、まっさらなキャンバスを向かい合わせにして留めて描画面を保護するための道具 (画材屋スタッフだった時の知識) 。なので木枠同士の間に空間が出来ている。
この3枚は光を通して鑑賞するのが良いとは思ったが、オブジェのように置いて鑑賞する時と壁に掛けて鑑賞する時の2通りにしたいという欲もあり、壁に掛ける場合の飾り方を考えてみることにした。
まず、壁に掛ける方法だが、キャンバスクリップが使用されていることを幸いに、奥から2枚目までをL字型フックで引っ掛けることにした。そうすれば、正面から見た時に金具が見えない。
2枚目の木枠までのサイズを測り、3枚目との空間も考慮して、サイズが合いそうな金具をモノタロウから取り寄せた。
金具の厚みは6mm。しっかりしている。さすがモノタロウ。
ちなみにうちの壁はこれで塗ってます↓ 【22】なつかしいラムネ味
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作品を設置すると↓
空間部分を考慮しすぎて、遊び (余裕をもたせた部分) が大きくなり、お辞儀してしまった、、、。
横から見ると、お辞儀具合がよく分かる、、、。
本作品を飾る時、難しいところはキャンバスクリップの部分であり、たがいちがいに留めてあるため、キャンバス間の空間も一定ではないところだ。
だが、それならば、クリップがある部分には遊びが少ないことになる。そちら側に寄せて作品を掛けてみると↓
つまりこのように左側に寄せてみたわけだが
お辞儀具合は改善された。
他のやり方として、作品上部に手グス糸などを通して壁に固定する方法等を考えたが、オブジェとしても飾りたいので、作品はすぐに壁からはずせる状態にしたかった。
なので今回はこの方法で進めることにした。
(さらに、キャンバスクリップが金属であることを利用して作品の上部右の壁側に強力マグネットを仕込むことも考えたが、そこまでの磁力の効きは期待出来なかったのでそれはやめた。)
しかし予想通り、壁掛けにすると一番奥の網に描画されているピクセルが見えなくなる、、、
そこで、壁と作品の間に薄型の照明を設置出来ないか考えた。金具の厚みも6mmあるわけだし。
探せばあるもので、階段の縁などに目印として取り付ける用の薄型LED (厚さ8.7mm) を見つけた。長さも20cmなので作品の高さ22.7cmを超えない。
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作品は金具の左側に設置するので、照明は作品の中央に来るように右の金具側に寄せた。
両面テープとマグネットによる設置なので壁に穴を開けずに仕込める💡
(L字金具をがっつりビス留めしている我が家にとっては壁の穴などは関係ないのだが、、、)
マグネット設置だと微妙な上下位置の調整が出来たのでとても良かった。
充電式ではあるが、もちろん有線でも点灯する。
作品を掛けてみるとこのようになった↓
一番奥のピクセルもくっきり見える。
《ブーケ》という作品であるから、各レイヤーが重なることで草花が重なってブーケが出来上がるのが魅力、と感じており、自宅の展示方法としてはこれで満足である⭕️
欲を言えば、やっぱり照明の細長い形が見えてしまうところが残念なわけで、おそらくプロなら作品全体の形に合わせたライトを用意しただろうな、というところ。
、、、まぁ、自宅で楽しむにはこれで良しとしよう。
照明器具が一つ増えたようにもなった💡
他作品と並べてみて、自分はつくづく「平面化された表現」というものに興味があるのだな、と思った。
作品に教えられる自分のフェチ。
そういう順序もありかもしれない。自分のことは意外に分からない。コレクションの計画を立てる前にとりあえず「買わずにはいられないもの」を買ってしまうのもあり、か。
ところで、先日、美術館の照明のプロの方の講義を聞いてきた。
そういえば、、、展覧会の光って邪魔にならない。それでいて、しっかり鑑賞出来ている。
ちょうど先日、東京国立博物館の中尊寺金色堂の展示を観たが、お堂の中にいるような薄暗い演出の中で展示品の細かいところまでしっかり鑑賞することが出来た。
中尊寺金色堂の展示はほぼ撮影禁止だったので、唯一、撮影可能だった再現模型の画像を載せてみる↓
展示風景画像:建立900年 特別展「中尊寺金色堂」東京国立博物館, 2024
展覧会場の暗さ、伝われ、、、。
とにかく、このくらい暗くても、本当に細かい部分までよく鑑賞出来た。改めて考えてみるとすごいことだ。
対照的に思い出されたのは、昨年 (2023年) にアーティゾン美術館で開催された「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」展で、雪舟の作品が展示されていたセクションの照明である。
展示風景画像:ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン アーティゾン美術館, 2023
画像ではよく分からないかもしれないが、作品前のガラスに照明が反射して、遠くから眺めるということがままならない仕組みになっていた。
おそらく、鑑賞する距離を詰めてみてほしい、という意図があったと思われる。この展覧会自体「見る」「観る」ということがテーマだった。この光の反射ではガラス面に近づいて見ないと作品がよく見えない。その距離で見るのがベスト、ということだったのだろう。
意図はともあれ、普段、心地よい照明の下で鑑賞していたことを思い知らされるほど、違和感のある光の当て方だった。
照明一つで、鑑賞は全く違ったものになる。
もっと言えば、照明一つで、鑑賞をコントロールすることが出来る。
先に挙げた三井記念美術館での講義では、美術館の照明の仕事を20年近く請け負ってこられた尾崎文雄氏の話を伺うことが出来た。
尾崎さんはまず「作品がまとっている空気」の理解から入る、というようなことをおっしゃっていた。作品が古美術であるならば人工の明る過ぎる光を嫌うし、現代美術であればパキっとしたシャープな光が合うこともあるだろう。建物自体のリニューアルがあった時でも設計者や施工者よりもまず学芸員の意見を優先して聞く、という話に驚きもしたが、鑑賞自体を大きく左右する照明を扱う以上は自然なことなのかもしれないと考えさせられた。
美術作品の解釈、時代背景、そういったものの知識は、何も批評を戦わせるためだけのものではない。
尾崎さんは照明だけでなく建築的な制約もしっかり考慮した上で (作品がよく見えても鑑賞者が転倒しやすい場所になってはダメなわけだ) 、その上でさらに「美術作品」への理解がある職人さんである。すごい。こういうすごい方たちが展覧会をまさに作っている。
「雑味なく気配なく」
ともおっしゃっていた。「あ、これは尾崎さんによる照明だな」と分かるような雑味や気配を極力なくす、ということだ。今まで、照明に違和感を持たずに鑑賞が出来たこと、これは本当にすごいことだ。様々な職人さんに敬意を払いたい。これはアルチザンと呼ぶにとどめて良いのか? アーティストではないのか? そんなこともよぎる。
それ以外にも、ここには書ききれないほどのこだわりがあった。照明とは、さまざまな知識を駆使し、存在を消して作品に表現させ、鑑賞そのものをもコントロールする、たいへん意味ある仕事なのだ。
もう一つ、印象的だった話は、このようなすごい職能を表す肩書きが、今もなお存在しない、ということだ。尾崎さんは20年携わっていらっしゃる。20年はごく最近? なのか?
現在でも、美術館や博物館によっては、学芸員さんが照明も請け負っている。専門家を擁している館と比べたら至らない部分も生じてくるだろう。
先にも述べたが、照明は鑑賞を左右する。
まだまだ肩書きのない重要な仕事がアートの世界には存在する。
また、美術作品の歴史や背景を学ぶことの意味も、ぐっと広がっている。
照明を気にかけてみる、そんな鑑賞時の楽しみが増えた。
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