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感想 栁澤貴彦 個展「Phantactal」

 

栁澤貴彦 個展「Phantactal」

 

会 期:2025年1月10日(金) - 2月2日(日) 

時 間:13:00-19:00

休 廊:月火

場 所:SOM GALLERY

展覧会URL:

https://somgallery.com/exhibitions/phantactal


 

馬喰町にあるSOM GALLERYで栁澤貴彦さんの個展「Phantactal」を観てきました。

 

栁澤さんの作品を拝見するのは初めてです。この特徴的なパイプの表現をSNSで拝見し、とても惹かれました。

 

 

 

《Reflection》

 

 

 

正面手前《JCT(celadon)》

 

 

 

《Boundary》

 

 

 

《Floating sausage》

 

 

 

《Passage》

 

 

 

《Enter the Park》

 

 

 

《Derby》

 

 

 

風景写真やインターネット上の画像などを含めた複数のイメージをレイヤーとして重ね、そのレイヤーを繋ぐものとしてパイプ (のようなもの) が現れているそうです。

 

よく見ると道路や人といった具体的なものを発見でき、奇妙な現実味を感じられる作品群です。

 

現実的な日常の中ににゅっとパイプが出現し、その出現と同時に頭の中にストックされたイメージが滲み出してこの画面が形成される、みたいな印象を持ちました。

 

 

 

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栁澤は、風景写真やインターネット上の画像、複数のイメージをレイヤーとして重ねたコラージュ絵画や立体作品を通じて、複雑な世界のあり方を再考する試みとして制作を行っています。栁澤によって描かれる画面には、ワームホールや体内を巡る血管、地下のパイプを想起させるモチーフが描かれ、画面上のレイヤー間を行き来することで、異なる空間や次元を繋ぐ役割を果たしています。このパイプ状のモチーフは、単なる形状としての機能を超え、「入口」と「出口」、「内」と「外」、「こちら」と「あちら」を繋ぐ象徴として、境界そのものを問い直しています。 

 

SOM GALLERY (https://somgallery.com/exhibitions/phantactal) より 抜粋

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そもそも私がこのパイプ (のようなもの) に惹かれたのは、ちょうど "クラインの壺" のことを考えていたからなんです。東浩紀さんの『存在論的、郵便的』の第四章を精読する機会があり、そこに登場する "クラインの壺" のことを考えていました。

 

 "クラインの壺" とは内側を辿っていくと外側になっているような、言い換えると、内側も外側もない構造を持つものです。『存在論的、郵便的』の第四章では、メタレヴェルとオブジェクトレヴェルを繋ぐ構造として "クラインの壺" が出てきます。自分なりの解釈でめちゃくちゃ平たく言うと、人間は現実的な世界 (オブジェクトレヴェル) に生きているけれども、見たことのない宇宙とか、数学の問題で出てくるような "一定の運動をする点P" というような形而上的 (メタレヴェル) な思考も持てるわけで、これって他の動物と比較するとかなり特殊なことです。そういう思考ができるからこそ "理想" を心に描いたり、思い悩んだりもするわけですが。 "クラインの壺" 構造では、オブジェクトレヴェルに空いた穴のようなものがメタレヴェルの入り口であり、そこから無意識の領域にあるクラインの管に繋がっていきます。これがかなり栁澤さんの作品にあてはまるような気がしてなりません。

 

 

 

東浩紀 (1998) 『存在論的、郵便的: ジャック・デリダについて』新潮社


 

 

 

思えば、絵を描くとか絵を観て何かを感じるということも、自分の無意識のレヴェルと意識のレヴェルを繋いでいかないとできなさそうですよね。

 

栁澤さんの作品は、オブジェクトレヴェルで考えるととても奇妙なもののはずなのに、不思議と受け入れやすく現実味まで感じてしまいます。作品に表現されたものが、私たちが生きる上で脳内で (または五感すべてを使って) 処理しているなんらかのプロセスに則っているからなのかしら。

 

 

 

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栁澤のこの探求は、美術史における複数の伝統や視点を引き継ぎながら、形成されています。たとえば、キュビズムは単一の視点を超え、対象物を幾何学的な形状に分解して再構築し、多角的な視点から描くことで時間と空間の多重性を画面上に再現しようとしました。同様に、栁澤の制作では異なる空間やスケールを画面上で重ね合わせ、視点の連続性と断絶を同時に表現しています。この「断片化と接続」のプロセスは、現代の視覚体験にも呼応するものです。デジタル社会において、私達は好むと好まざるとに関わらず、断片的な情報や画像を半自動的に得て、自身の経験や判断に紐づけながらそれらを接続させ、再構築させていきます。栁澤の作品においても、鑑賞者は、各レイヤーやモチーフを行き来しながら意味を求めることになるでしょう。

 

SOM GALLERY (https://somgallery.com/exhibitions/phantactal) より 抜粋

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オブジェクトレヴェルに、にゅっと出現した入り口、、、

 

 

 

 

 

 

手前《JCT(oil drop tenmoku)》

 

 

 

手前《Pump》

メタレヴェルへの入り口、、、

 

 

 

《M stairs》

 

 

 

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また、これらのモチーフは境界とその曖昧さをめぐる問いへと繋がっていきます。境界とは、分断を意味すると同時に、異なる領域を接続する媒介としても機能します。たとえば、体内を巡る血管や地下のパイプラインは、生命や都市の維持に必要不可欠なものですが、その存在は普段意識されません。それらは見えない領域を行き来する通路であり、私たちの生活の「内」と「外」を繋ぎます。 シュルレアリスムが夢や無意識を通じて異なる次元を繋ごうとしたように、彼の作品に登場するパイプ状のモチーフもまた、現実と虚構、過去と未来を結びつける象徴的な「通路」として機能します。 これらの試みを通じて、栁澤は境界という概念を再考し、その曖昧さや多義性に焦点を当てています。それは異なる空間や次元を接続するだけでなく、私たちが現実をいかに分断し、同時に繋ぎ直すのかを問いかけるものです。

 

SOM GALLERY (https://somgallery.com/exhibitions/phantactal) より 抜粋

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私にとっては読んでる本と重なるような、タイムリーな展覧会でした。

 

アートを鑑賞する時、私はどこと何を繋げて思考しているんだろう?

アートを鑑賞する時だけじゃなく、私はどこと何を繋げて思考しているんだろう?

 

 

 

ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

 

 

展示風景画像:栁澤貴彦 個展「Phantactal」SOM GALLERY, 2025


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