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感想 片口南 個展「子供部屋の情景」

 

片口南 個展「子供部屋の情景」

 

会 期:2025年2月14日(金) - 3月2日(日) 

時 間:13:00-19:00

休 廊:月火水

場 所:下北沢アーツ

展覧会URL:

https://shimokitazawaarts.tokyo/kataguchiminami_childrensroomscenary/

 

 


 

下北沢アーツにて、片口南さんの初個展を観てきました。片口さんの祭壇画のような静物画をSNSで見て、ズキューン💖と心を射抜かれておりました。

 

今回の個展では小さめの作品が並びます。

 

それぞれの静物と作品タイトルにはエピソードがあります。下北沢アーツに行くと詳しく解説いただけるので全部はここには書きません (可能なら現地に行って観ながら聞いてほしい) 。まずは画像をご堪能ください。めっちゃ良いです。

 

 

 

 

 

 

《My alter》

 

 

 

《先生/Teacher》

 

 

 

《My Sirius》

 

 

 

《星の寿命/Star lifespan》

エピソードのひとつとしてこの《星の寿命/Star lifespan》という作品を挙げたいと思います。描かれている割れた花器は、美大生時代に京都に修学旅行に行った際のお土産として買ったものだそうです。わりとすぐに壊してしまい、そのことと、最後には超新星爆発を起こす星の寿命とをなぞらえています。しかし、割れた破片も含め花器そのもの自体は無くなったわけではなく、そして描かれているように花を生けるということも可能な状態です。上部に描かれた白い丸や半円は月の満ち欠けを表しており、月の満ち欠けも “欠け" とは言うものの、実際の月は欠けたわけではなくそこにあります。

 

そんなエピソードを聞くと、片口さんがなぜ静物画を描くのかというコアの部分に少し近づけるような気がしました。

 

物っていうのは有限だけれども、私たちの心に無限の何かを確実に残す、、、。そんなことを考えました。

 

 

 

 

 

 

《Simon》

 

 

 

《Lucy》

 

 

 

《Arabesque》

 

 

 

《Un ange passe》

 

 

 

 

もうひとつ、作品を鑑賞しながら考えていたことは、写実的なペインティングが持つ力ってなんだろう、ということです。

 

写真の発明により、写実表現ははたして不要になったのか。私には、写真と写実的に描かれた絵画とは全く別のものに見えます。

 

その理由として、描かれた絵のほうには作者の何かがノるのだと考えています (その意味では、芸術的な写真には被写体に写真家の何かがノったものが写されている、と言えるかもしれませんが) 。

 

ちょうど今、アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』の第一章を読んでおり、そこに書かれていることによると、私たちの知覚は記憶力と切り離せないものである、ということです。

 

アンリ・ベルクソン 杉山直樹 訳 (2019) 『物質と記憶』講談社


 

 

何か物を見る時、私たちはすでに色々な経験を通して、その物そのままではなく自分の記憶がノったものを見ているのです。

 

これは生きる上で有用なことです。例えば、ぐつぐつと大きな泡を立てて煮えたぎってるお湯はかなり熱い、不用意に手を突っ込んだら大火傷をする、ということが記憶に残っていなかったら、生活していく上で火傷が絶えなくなってしまいます。それは困る。

 

 

 

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記憶力は実際上は知覚と切り離せないもので、この記憶力は過去を現在のうちに割り込ませてくるのと合わせて、持続の多数の瞬間をただ一つの直観に凝縮してもいる。この二重の作用によって、記憶力は、権利上ではわれわれは物質を物質自身のうちで知覚しているのに、事実上はそれをわれわれのうちで知覚するということの原因になっているのである。

 

アンリ・ベルクソン 杉山直樹 訳 (2019) 『物質と記憶』講談社 p.98

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しかし物を写実的に描くには、この記憶力が割り込ませてくる部分を排除して、物そのものに迫っていかなければなりません。

 

やかんを描いてみましょう、と言われて何も見ずに描くと普通はなかなか上手くいかないものです。毎日のように見ている物でもふわふわとした輪郭でしか捉えられていません。実際のやかんをデッサンするつもりで見てみると、そこかしこに機能に即したデザインの妙があることに驚かされます。

 

 

 

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記憶力こそが自分の主観的な性格を特に知覚に与えているものであるのなら、先に述べたように、物質に関する哲学がまず目指すべきは、この記憶力からの提供分を切り捨てることである。

 

アンリ・ベルクソン 杉山直樹 訳 (2019) 『物質と記憶』講談社 p.98

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写実的な絵を描く人は、ここで語られているような “記憶力からの提供分の排除" という訓練をかなりの量で積み上げてきているのです。そうしないと写実的に描くということそのものが成り立ちません。

 

そして写実的な絵画の難しいところは、徹底的に “記憶力からの提供分の排除" を行いながらも、そこに “どうしても切り離せない記憶力による主観" を滲み出させることだと思っています。それがなければ、ただ「すごい上手いですね」「超絶技巧ですね」「写真みたいですね」という絵しか生まれません。

 

 

 

片口さんの写実的な静物画には言葉に尽くせない独特の雰囲気がノっています。それはおそらくそれぞれの物に対する作家自身の思いや時間の積み重ねによるものなのでしょう。本展のタイトル「子供部屋の情景」はシューマンのピアノ独奏曲「子供の情景(kinderszenen)」が由来とのことで、そのことからも、子供時代から作家自身が培ってきた嗜好・価値観が作品群にしっかりと現れているのだと結論づけたいと思います。

 

 

 

ぜひ、実際に鑑賞して確かめてみてください。

 

 

 

 

 

展示風景画像:片口南 個展「子供部屋の情景」下北沢アーツ, 2025


本日のBGM

 

OLIVIA「Color of your Spoon」

 

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いやー、なんでOLIVIAなんだろう。なつかしい。独自の世界観を持つ女性のことを考えていたらふと思い出したのでBGMに選びました。KATEのCM、好きだったなぁ。No more rules !

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